指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

「村上RADIO 成人の日スペシャル スタン・ゲッツ音楽を生きる」と高木さん3の二回目。

 「からかい上手の高木さん3」の二回目を録画して見る。なんかよく言えば意欲的なんだろうなと思う。でもこれが最後のシリーズならもう少しオーソドックスにつくって欲しいなとも思う。同じ日にネトフリで2の最終話を見て号泣。今のところ2の方が明らかにパワフルな気がする。
 「村上RADIO」は村上春樹ライブラリーで行われたレコードコンサートの録音。スタン・ゲッツの生涯が駆け足で語られながらそのときどきの彼の作品が流される趣向。ジャズには詳しくなくてもなかなか楽しめる入門書になっている。ゲッツの伝記読んでみようかなとちょっとだけ思った。でもあれ厚いよねすごく。しかも二段組みじゃなかったっけ。
 高木さんのラジオも結局録音して聴く。でもキャラクターと声優さんとは別のものだと痛感。まあ当たり前だ。
 腰をいたわるために今日は一歩も外に出てない。長引かせたくないので明日はバイトを休んで近くの整形外科を受診するつもり。会社にそれも電話で伝えた。明後日からバイトに復帰できればいいなあと考えている。という訳で今日はテンション低め。

村上春樹ライブラリー十五回目とバイト初日。

 昨日は今年初めての村上春樹ライブラリー。顔見知りのスタッフさんがふたりともいて新年の挨拶など交わす。読んだことのない作品を探してチャンドラーの小説から言葉を選び出した本を読み始める。これがなかなか沁みる。今日は全集じゃないんですかとスタッフさんに話しかけられたので解題は全部読んじゃったので読んだことのない本を読んでますと返す。ちょっと早めに引き上げて遠回りして三人分のお弁当を買って帰る。午後はいつも通り。「紅の豚」見ててブログ書く時間がなくなった。
 今日はバイト初日。面接をしてくれた人とは別の若い女の人が対応してくれて書類の書き込みや押印など事務的なことを済ます。今月分のシフトもこのとき入れられる。週三日という話だったけどいざふたを開けてみると残り半月で全部で十日くらい入ってよいということで助かる。時期にも拠るんだろうか。ただ人手は割に足りないらしい。週五日入れるならもうひとつバイトを探さなくてもよさそうだ。仕事は三人での交代制で三十分現場に出て十五分お休み(と言ってもお休みの間にも雑務があるんだけど。)の四十五分サイクル。ひと通り全部やってみて特に難しいことはなさそうだったのでほっとする。現場のスタッフはみんな若い。仕事を教えてくれた女の子は大学を出て今春就職すると言うし背の高い男の子も学生だと言う。このふたりは割に気さくで話しやすくてよかった。いろいろ細かいアドバイスもしてくれた。暇なバイトだってみんな言いますよと男の子が教えてくれる。じゃあトラブルとかなくて比較的平和なんですかねと尋ねるとでもあまり口にしたくないこともたまーに起こりますと言う。なるほど。最後に思わぬ力仕事が待ち構えていてちょっと腰をやってしまった。今のところ午後の授業に差し支えはないけどあれは老体にはきつい。後日会社と相談かな。

バイトの面接と宝くじ。

 昨日の午前中バイトの面接を受けに行き履歴書をもとにこちらの希望や業務内容など数分話をしただけで帰る。なんかこう手応えがなくて初めから採用する気まんまんかそんな気は全然ないかのどちらかのように思われた。それで家人にその旨報告してあとはいつもの通り一杯飲んで昼寝して起きてから普通に授業をやった。バイトが始まれば昼に飲むのも昼寝もできなくなる。寂しい。
 年末ジャンボミニを九千円分買っておいたのを思いついて本棚の村上春樹さんの作品の並んだ段に置いておいた。村上さんの作品や作品の発売日にちなんでいくつかラッキーなことがこれまであったので験を担ぐつもりだった。家人と買い物に出かけていつものお稲荷さんにお参りしたらお参りを終えた後大きな木の根元辺りでぼとっという割に大きな音がして見ると古いシャトルコックが転がっていた。木の枝に引っかかっていたものに折から騒いでいたカラスがぶつかって落としたらしい。へえそんな珍しいこともあるんだね何かいいことあるかもねと話す。そしたらなんと宝くじが当たった。五千万じゃなく一万円だったけど。カウントが表示される機械を眺めていたら当たり枚数が四枚と表示されていて十枚に一枚は300円が当たるので三枚は必ず当たるとして四枚ってなんだと思ったら残る一枚が一万円だった。売り場の人がおめでとうございますと言って一万九百円渡してくれた。差し引き千九百円の利益。家人がひとしきり驚いた後それってマクラーレン代だねと言う。ほぼほぼその通り。僕の中で勝手に村上春樹さんとアイルトン・セナがつながる。ちょっと幸せな気分になった。
 昼寝してたらスマホが鳴ったので出ると昨日面接してくれた人だった。土曜も含めて週三日なら採用してくれるとのこと。一日五時間で五千円だから週三日で一万五千円、月にして六万円ちょっとにしかならない。今の窮状には全然足りない。それで返事を待ってもらって家人と相談。結果まあもうひとつバイトを探すってのもありだし一応受けておこうかと話がまとまる。ただしこのまま新型コロナが勢いづくとこのバイト先はそれ自体が休業になりかねない。道はなかなか険しい。でも塾の前に置いてるチラシは今月だけで三通も持ってかれてんだよな。それにしてはどこからもなんの音沙汰もないんだけど。頼むから本業がもう少しなんとかなって欲しい。

マクラーレン MP4/4。

 1988年にアイルトン・セナが乗ったマシンということだ。この年にセナは初の年間優勝を果たした。マクラーレンのチームドライバーのもう一人はアラン・プロストでたぶん僕はこの年プロストを応援してたんだと思う。レース展開はどうあれ結局最後には一位でチェッカーフラッグを受けるというクレバーさに惹かれた。F1ジャーナリストの今宮純さんが彼を「プロフェッサー・プロスト」と呼んだのもそういうところを指してたんだと思う。それに比べるとセナはなんとなく粗野な感じがして好きになれなかった。
 でも一年後にそれが逆転する。1989年のシーズン最終戦鈴鹿サーキットで行われた日本グランプリで首位を走るプロストを抜こうとしたセナにプロストが幅寄せするようにしてマシンをぶつける。マスコミはそういう言い方をしなかったけど少なくとも僕の目にはそう映ったし今でもそう信じている。二台はそこで止まった。確かこのレースでセナが優勝すればプロストを逆転して年間チャンピオンになれるという状況だったんじゃないかと思う。逆に言うとセナがリタイヤしてしまえば自分の成績とは無関係にプロストが年間チャンピオンを獲得する。だからプロストはセナを止められさえすればそれでよかった。ヘルメットを脱いでプロストはさっさとマシンを後にする。構造はよく知らないけどF1のマシンというのは一度エンジンが止まると再スタートさせるのがとても難しいんじゃないかと思う。だからこれでセナの今シーズンもおしまいかと思われた。でも彼は諦めなかった。マシンは再スタートしセナはレースを続けた。このとき僕はアイルトン・セナという人に対して初めて畏敬の念を抱いた。諦めないということがこんなにかっこいいものとは思わなかった。ほんとにすごかった。そしてそれからはセナの絶対的なファンになった。
 結局この日本グランプリはセナが再スタートした後正規でないコースを一部走ったということで失格になったんじゃないかと思う。だから今調べてもこの年の年間チャンピオンはアラン・プロストということになっている。その後1990年、91年とセナはマクラーレン・ホンダのマシンを駆って年間チャンピオンになる。この二年間はF1のレースを観戦するのが本当に楽しかったような覚えがある。しかし92年、93年とマシンのパフォーマンスでマクラーレンを凌駕したウィリアムズ・ルノーにチャンピオンを持って行かれる。93年のチャンピオンはマクラーレンからウィリアムズに移籍したアラン・プロストだ。セナはこの年マクラーレンに対する不信感から年間契約ではなく一戦ごとの契約に切り替えている。前年まででホンダがエンジン供給から撤退しフォードからエンジン供給を受けていたのもマクラーレンにとっては痛かった。でもセナはベストを尽くしていた。元々雨のレースが得意だったのでこの年の雨のブラジル・グランプリだったか鬼気迫る走りを見せたのを覚えている。空は暗くセナは速かった。
 運命の翌1994年セナは念願叶いマクラーレンから宿敵だったウィリアムズに移籍する。前年のシーズンを最後にプロストが引退したからだ。そして1994年5月1日サンマリノ・グランプリで事故死。その日のことは随分前にこのブログにも書いた。
 このモデルは晴れのレース用のつるつるしたスリックタイヤではなく格子状の刻み目のついたレインタイヤを履いている。雨のレースが得意だったセナへのオマージュだとすると感慨深すぎて涙を禁じ得ない。

成人式。

 昨日子供が成人式を迎えた。大学の入学式のために買ったスーツを着てアディダスのスニーカーとニットタイを新調。どちらもものすごく安くて助かった。それといつも着てるダウンのコートが普段遣いならまあ構わないものの晴れの日にはちょっとどうかなという気がしたので僕のダッフルコートを貸す。すごくよく似合ってて大人になったんだなあとしばし感慨にふける。式が終わるといったん帰って来て着替えて中学のときの生徒会のメンバーとお昼を食べに行くと言って出かけて行った。僕は受験生だったので地元まで帰って成人式に出るなんて思いもよらなかった。地元にも地元の友だちにも特にこだわりはなかったし。子供は二十歳までずっと同じところに住んでる訳でそう考えると僕の生い立ちとは全然違う。
 BayFMの「からかい上手の高木さん 深夜のニヤキュンラジオ」を録音して聴いた。パーソナリティーは高木さん役の高橋李依さん。割にきゃぴきゃぴした感じの人で高木さんとは随分違う。役に合わせて声をつくってるんだね。とりあえず30分番組なのであっという間に聴き終えた。次回も聴くか悩むところ。
 「村上RADIO」の成人式スペシャルもらじれこで録った。うまく録れてるかさっき確認しただけでまだ聴いてない。そのうちゆっくり聴こう。

応募。

 一昨日アルバイトに応募したら昨日メールが来て希望の勤務時間とか曜日とか尋ねられた。知らせるとすぐに返信があって希望の面接日時を訊かれた。返信すると間もなくまたメールが来て面接日時が決まった。学生さん活躍中といううたい文句だったのでシニアは駄目かなと思ってたんだけど応募時に生年月日を記載してのこの対応なのでシニアでも大丈夫みたいだ。とりあえず明後日面接に行く予定。履歴書用意しないと。

一回目。

 「からかい上手の高木さん3」の一回目を見る。オープニングテーマ「まっすぐ」は今ひとつな気がした。でも単に聴き慣れてないからかも知れない。2の「ゼロセンチメートル」はこれから高木さんが始まるという期待とリンクしてパブロフの犬みたいにわくわくさせる一曲になった。と言うか今でもなっている。回を追うごとに「まっすぐ」もそんな曲になるかも知れない。また今回ストーリーとしてはこれまでの作品と比べると明らかな変化球だったのでバットの芯は食わなかった。ホームランでもヒットでもなくファールフライといったところかな。もう少しオーソドックスなお話を期待してたのでやや戸惑った。これって原作にあるお話なのかな。全部は読んでないのでよくわからない。ただ逆に言うと制作側はこの作品に対してかなりの自信を持ってるということなのかも知れない。新しいシーズンの一作目にこれを持って来るなんてね。ただあの夏祭りの夜に戻るシーンはぐっと来た。2の最終回の。やはりあのエピソードってすごく大切だったんだね。そのことは今回の放送の中で西片君が夢から覚めた後にとったリアクションからもうかがわれた。あと「あしたは土曜日」の三人も健在。彼女らについてはこの前も書いた通りその意義についてまだ迷ってて結論が出てない。エンディングの高橋李依さんの「夢で会えたら」はよかった。
 昨日今まで使ったことのない検索サイトを見てたらすごくよさそうなバイトを見つけてなんだか一気に気分が軽くなった。ただそこでフルにバイトしても月十万円ちょっとにしかならないので(都の最低賃金の時給なので)あとはどうしようかなあと考えている。とりあえずそろそろ一度応募してみるつもり。

ネトフリで高木さんを見る。

 ネトフリで「からかい上手の高木さん」の初めてのシーズンを三回分見た。うーんとやっぱり原作読まなきゃよかったなあと若干後悔。アニメだけにしとけばよかった。なんて言うか原作の印象にアニメが侵食されてしまいそれはまあ当たり前の話なんだけどもともとアニメを見てその魅力に惹かれた立場からするとその原作の印象が割と邪魔になる。まあ塾で生徒さんたちが喜んで読んでるのでそういう意味ではよかったんだけど。その他いくつか気づいたことを書くと二話目と三話目の高木さんの作画にちょっと迷いがある(一話目は気にならなかった。)ことと高木さんのCVの高橋李依さんもまだ高木さんになじんでないように思えることが挙げられる。なんとなく違和感があるので回が進んで早くそれがなくなればいいなあと思う。それに比べると西片君は作画も声も最初から西片君だ。また今回改めて気づいたのは全体的に本当に丁寧につくられた作品だということだ。アングルとか背景なんかもとてもすばらしい。聖地巡礼が出るのにこの背景も明らかに一役買ってる気がする。すごく素敵な場所に見えるから。それと同じ作者の「あしたは土曜日」の女の子三人組のエピソードが挟まれるのはどうなんだろうか。どうなんだろうかと言うと若干否定的に眺めてる印象になるけどそういう訳ではなくて本当にどうなのか決めかねている。原作は二巻とも持ってて結構気に入っている。一応高木さんと西片君が通うのと同じ中学校の同級生という設定らしいエピソードが原作にちらっと出てくるのでアニメに登場しても不自然じゃないのかも知れない。もう少し先まで見て自分がどう思うのかを見極めたい。さらにオープニング曲の「言わないけどね。」が今更ながら傑作。曲も歌詞もすばらしい。歌詞なんてほんとの高木さんじゃなきゃ書けないでしょこれとしか思えないほど真に迫っている。僕が持ってるのは高橋李依さんバージョンだけど作詞作曲の大原ゆい子さんが歌うバージョンもいい。「2」のオープニング「ゼロセンチメートル」もよかった。なので「3」のオープニングもものすごく期待している。ということで明日の深夜が本当に待ち遠しい。

「からかい上手の高木さん3」が始まる。

 今月から金曜日の深夜に「からかい上手の高木さん3」が始まる。うれしい。どんな主題歌なのかとかすごく楽しみなので一応ツイッターもフォローしてるけど前情報をできるだけ入れないようにしている。ところで最近子供が「浅草キッド」を見たがってNETFLIXに入った。スマホにダウンロードして見てるらしい。そんなことができるんだね。すごい。だから高木さんの1と2も見ようと思えば見られる。実はどちらもほんの数話ずつしか見てないので随分楽しめると思う。でもなんて言うかうちでは僕のチャンネル権というのはほぼないに等しくてさすがに3は家人が録画してくれるようだけどネトフリまではなんとなく手が出しづらいのが現状だ。僕もダウンロードしてスマホで見ればいいのかな。そう言えば「浅草キッド」は僕も見たい。この本の文庫版は一時期愛読書で随分繰り返し読んだ。どこがと言われるとうまく説明できそうもない。でもとにかく魅力的な本だ。ビートたけしさんが歌う同名の歌も切なくて好きだ。歌詞はこの本にも収録されていて歌詞だけ読んでもなかなか沁みる。
 今LINEで尋ねたら高木さん見ていいことになった。一日一回分ずつで一ヶ月弱か。楽しみにして見たいと思う。

必要なものは買わないと。

 午前中冬期講習がなかったので買い物に出かける。メインはリトルマーメイドのパニーニでそれで一杯やろうと家人が言うので。その前に書店で教材を二冊買いユニクロで長袖のボタンダウンシャツを二枚買う。今着てるたぶん二枚一緒に買ったボタンダウンのどちらもの襟がほぼ同時に駄目になって来たため。すり切れて小さな穴が開き始めた。何年くらい着てたのかなあ三年くらいかな?両方とも紺のギンガムチェックだ。今回は同じギンガムチェックとただの白いボタンダウンシャツにしてみた。仕事でなくプライベートで着る白のシャツがなんとなく好きなので。理由はうまく説明できない。でもジーンズとかチノパンとか履いて上が白いシャツっていいですよね。ジーンズはもう何年も履いてないんだけど。それから無印良品で臙脂のクルーネックセーターを買う。このブログで調べるとちょうど二年前のお正月に同じものを買っている。ちょっと傷んで来たので代替え。と言っても少し丁寧に毛玉を取ればまだ着られるかも知れない。うまく再生できたら普段着とよそ行きという役割分担で着たい。経済的に普通にやって行けるのは今月までで来月になるとたぶんとっても逼迫しちゃうはずなんだけど必要なものは買わないと。それから予定通りリトルマーメイドでベーコンとトマトのパニーニとかバゲットのサンドイッチとか買って帰る。おいしかった。
 午後は生徒さんたちが問題を解く間に都立の入試問題の過去問を解く。今日は数学と英語。入試問題に限って言えば数学もそれほど嫌いじゃない。なぜか結構すらすら解けちゃうし解けない場合でも解説を読むと割にすぐわかる場合が多いので。ある種のパターンがあるからかも知れないし問題が素直だからかも知れない。模試の過去問まで含めれば累計でもう何十回と解いてるから慣れちゃったのかも知れない。英語は受験生にとっては時間が足りないというのが通り相場になってて実際長文問題はかなり長めだ。でも一応全文読んでも時間内には終わって大体満点に近い点が取れる。自由英作文があってそれは自分では正当に採点できないのでまあそれ以外が間違ってなければよしとしている。ただ自分がいい点とっても何の意味もないので―当たり前だ。―長文であってもできるだけ時間をかけずにしかも着実に高得点が狙えるような解説の方法を考えるのがメインだ。この方法を考えるのが難しいのは英語が苦手な生徒さんの読解力をどの辺りに想定したらいいのかわからないところだ。極論を言えば生徒さんの数だけ読解力の高低差があることになってしまう。でもそれだけのグラデーションに対応するのはさすがに無理なので大体の見当でやってる。まあそれで生徒さんたちは納得してるみたいなので今のところはこれでいいんじゃないかと思っている。

ちょっとだけ上がるできごと。

 大晦日の混み合ったスーパーマーケットで不意に声をかけられた。―くんのお父さんですか。子供の名前だった。あわてて目を向けるとまったく見覚えのないおばさんが立っている。そうですがと答えると―小で―くんと同級生だった―の母ですと自己紹介される。お子さんの名前にはかろうじて聞き覚えがあった。家人はお母さんの顔を覚えていたみたいでその後の会話は家人が引き取ってくれた。お母さんのうしろに立ってたのが当の同級生の女の子だった。小学生のときの面影は感じられずきちんとお化粧をしてすごく大人びて見えた。そしてとてもきれいな目元だった。考えてみればそりゃ二十歳のお嬢さんなんだからこんな風にきれいに見えても全然不思議じゃない。ただうちの子と比べてあまりにも大人びて見えたのでびっくりした訳だ。お母さんはうちの子を全然見かけないけど地方の大学に行ったのかとか成人式には出るのかとか家人に尋ねていた。僕にはもうひとつ驚くことがあってそれはまったく見覚えのないお母さんが僕のことを覚えていたということだった。しかもマスク越しにそれと気づくなんて。スーパーからの帰り道でそのことを家人に言うとあなたほど学校行事に来てたお父さんは珍しかったからじゃないのと言う。なるほど。でも理由はどうあれ自分の全然知らないところに自分を覚えてくれている人がいるというのはなんかちょっとこうこそばゆいような感覚だった。そしてそれはなかなか悪くない感じで気分が上がった。
 昨日年末の挨拶代わりに生徒さんの保護者に向けて一年間のお礼のメールを一斉送信で送った。すると何人かから丁寧な返信があって塾に行き始めてから勉強に自信が持てたとかそちらの指導のおかげでいい方向に向かっているとかうれしい言葉が届いた。こんなことも気分を上げてくれる。
 元日なので初詣に行き例によって去年の破魔矢をお納めしてお参りした後新しい破魔矢をいただいておみくじを引いた。吉。目の前の小さな利益を追うのではなく大局でものを見るのがよい。運気は次第に上がって行くだろうという意味のことが書いてあった。なんかすごいタイムリーな言葉に思えて少し気分が上がった。
 ということで今年も相変わらずこんな感じですが何卒よろしくお願い申し上げます。また昨年父親を亡くしましたので新年のご挨拶は謹んでご遠慮させていただきます。

仕事納め。

 今日が仕事納め。冬期講習の設定を間違って通常の生徒さんの時間帯に重なってしまったため一時はてんてこ舞いになった。でもまあそれもなんとか乗り切ったし夜の授業も通常通り終えた。明日と明後日はお休み。二日の日曜は夕方だけ授業が入っている。寝不足みたいなので明日はちょっと寝坊したい。できるかな。

割に疲れた。

 冬期講習も何日目かだ。午前中から仕事をすると割に疲れる。他の仕事と比べると体力的には楽なはずだと思う。でもなんか着実に疲労がたまって行く感覚がある。こんなことでアルバイトなんてできるんだろうかと不安だ。まあやらない訳にも行かないんだけどもはや。数年前よりも細かく衰えているんだろう。心の方はそんなに老け込んでない気がするし頭もはげてないし歩こうと思えばそれなりに歩ける。それでも状況は少しずつ悪くなって行く。疲れがたまる。簡単な計算問題が億劫になる。英単語の綴りだって忘れる。中学校レベルの英単語の綴りなんて自慢じゃないけどひとつも忘れたことなんかなかった。まあ大学受験レベルの英単語ならひと山いくらで売り払ったみたいにきれいに忘れてしまった。でも中学校で覚えた単語は忘れずにいてだから今の仕事もさして抵抗なくこなせていた。それがホワイトボードに向かうとふとしたときにあれっと思うことがあるようになった。あと漢字も忘れる。忘れ始めたのは英単語よりもそっちの方が先だったかも知れない。なんかゲシュタルト崩壊でも起こしたみたいに自分で書いててそれが正しい漢字なのか間違ってるのかが突然わからなくなる。視力も落ちたようで一応眼鏡をしなくても運転免許の更新は通るものの問題集の細かい文字なんかが読めないことがたまにある。あと恐いのがよくよろけるようになったこと。特に床に転がったぬいぐるみなんか踏みつけると―うちにはなぜか大小様々なぬいぐるみがおびただしい数あって日常的に何体かが床に転がっている―そのままばったり倒れそうになるほど激しくよろける。立ったまま靴下をはこうとしてもよろけるしもちろん酔っ払っていれば立ち上がっただけでよろけることもある。これは今のところ自分はよろけるようになったぞと自分で自分に厳しく言い聞かせることで対処していて幸い大ごとには至っていない。でも今後よろけ具合が激化するようならどうなるかわからない。
 近くの工事現場なんかでは僕よりも年上に見える警備の人が交通誘導なんかしててバイトだとしたら本当に頭が下がるなあと思う。自分がそこに立って同じことをしててもまったく不思議じゃないんだなと思う。でもいつも書いてるようにもうちょっとこう自分の能力を生かせる仕事を見つけたいなあと思っている。能力ったってたかが知れてるし要するにただわがままなだけかも知れないんだけど。

デタッチメントとコミットメント。

 もうひとつ村上春樹さんのこれまでの経緯で解せないと思っていたことがあってそれはいわゆるデタッチメントとコミットメントの問題だ。個人的には村上さんのデタッチメント側の振る舞い方―割に強固な個人主義―に以前から共感してきた。でもどこかの時点で村上さんはデタッチメントから社会へのコミットメントの方向へ舵を切った。その動機がよくわからなくてずっと謎に思っていた。と同時にどちらかと言えば今もデタッチメント側に与するものとしてその変化をなんとなく残念にも思った。

(前略)僕はもともと、自慢ではないけれど、論理や解析に基づいて整合的に仕事を進めていくタイプではない。本能的に「これが正しい」と感じたことを、まわりの思惑とは無関係に、一人で夢中になってどんどん突っ込んで押し進めていってしまう。いちいち細かく他人に説明するよりは、自分の勘に従って、黙って前に進んでいく。多くの場合、「わかってもらえなければもらえないで、それでもかまわない。自分で勝手にやるから」という風に考えてしまう。説明する時間がもったいないと思ってしまう。だから、当然の成り行きとして、まわりの人々と摩擦を起こす場合もある。しかしこの時点で河合さんとめぐり合ったことによって、僕としても、いくぶんではあるけれど、「わかりあうというのは、理解を誰かと共有するというのは、人の心にとってわりに大事なことなんだ」と考えるようになった。この歳になって今更という感はあるにせよ、少し身を引いて考えるというところが、僕の中にも出てきたのかもしれない。
(後略)
村上春樹全作品1990~2000 7」解題より

 ちなみに引用部分の「河合さん」は河合隼雄さんのことだ。そうは書いてないけどここにデタッチメントからコミットメントへの転換が割にはっきりと描き出されているように読める。少なくとも自分さえよければそれでいいという考え方はこのあたりで改められたのかなという推測が成り立つ気がする。

(前略)しかし河合さんと出会うことによって、僕はより立体的で、よりクリアな展望を持って、より穏やかな顔つきで、前に進んでいけるようになった。そしてまた、時間はずいぶんかかるかもしれないけど、自分の世界観や方法を他人に伝えることは決して不可能ではないのだ、という気持ちを持つことができるようにもなった。自分の作品や方法について語ることがもともとあまり好きではないのだが、やはり場合に応じて、それなりに具体的に語っていくことも、作家としてのひとつの責務なのだろうと考えるようになった。それは今すぐにではなくても、どこかの地点で共感のようなものを生み出すことになるかもしれない。そして共感というのは、我々が生きていく上で欠くことのできないものなのだ。
(後略)
前掲書より

 ここから「村上春樹ライブラリー」まではほぼ一直線の道のりのように思える。個人的には確かに村上春樹ライブラリーという企画には初めから違和感を持っていた。そういうことをする人じゃないと思っていたからだ。でもそういうことをする人じゃないと思っていたと落胆するよりは作者自身が読者にとってよりオープンなスタンスを取り始めたことを喜ぶ方がずっと妥当な気がするしずっと重要な気がする。そのおかげで「村上RADIO」のコンテンツの一部やAuthors Aliveの村上さんの朗読が実現していると言っていいしあるいはこの解題そのものもまた作者のスタンスの変更によってもたらされたものと言えるかも知れないから。研究者のみならずファンにとってもこの解題はすごく貴重なものに思われる。これが読めて僕は本当に心からうれしい。