指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

早稲田を受ける。

 この前高校の三者面談があって子供と共に行った。担任は四十代くらいの女性教師で国語の担当だそうだ。とても穏やかそうな人で子供によると実際怒ったところを一度も見たことがないという。高三の夏休みなので話題は大学受験のことだった。六月に受けた模試の結果を見ると子供の第一志望は早稲田の第一文学部、第二志望は明治の文学部だった。第三志望はぐっと易しくなって専修大の文学部。合格判定は早稲田と明治がE、専修がC、つまり早稲田と明治はほとんど可能性がなく専修なら四割くらいの確率ということになる。偏差値を見ると得意の日本史は60台の後半だけど英語と国語は50を下回る。つまり平均点が取れていないということだ。早稲田に入りたいなら三教科で70近い偏差値が必要で日本史でさえそれには達していない。しかも英語と国語というのは一朝一夕で成績が上がるものではない。前にも書いたかも知れないけど僕は高二のときに一日五時間ずつ英語を勉強したけど偏差値に反映されるまでに八ヶ月かかった。本人は浪人覚悟のようだけどたとえ一年浪人しても早稲田や明治は無理のように思われる。でも担任の先生は第一志望に現役で受かることに焦点を当ててどうするべきかを話された。夏休みの勉強時間をもっと増やすこと、どれだけの時間でどれほど学習を進めるかの計画を立てること、早めに過去問にあたって出題傾向を見ておくことなどがそれだ。でも六月にこの成績でこれからがんばって来春早稲田に受かるとしたらそれは結構な天才のみになせる技のような気がする。ただ僕としては最後まで本人の希望を否定したくないと考えている。ちなみに第一文学部には演劇科があってそこに行って演劇を学びたいそうだ。役者か劇作家になりたいからと言うんだけどそれなら何も早稲田に行かなくてもサークルとか大学以外での活動とかでもなんとでもなるように思われる。面談後にそのことを言ってみるとそこは本人も迷ってるらしい。まあ迷うよね。でもそれとは別に早稲田を受けたいなら受ければいいと思う。やりたいことはやってみた方がいい。

さよなら銀河鉄道999

 1979年だからちょうど四十年前になる年の明日8月4日、映画「銀河鉄道999」が封切りになった。それを観に行ったときのことはもう随分以前に書いた。あまりの喪失感に家に帰っても何も手に着かなかった。自分が心の底から憧れる世界はいつも自分の手の届かないところにあった。自分にできるのはただその世界への思いを胸の中で絶やさないことだけだった。でもそれは本当に切ない行為だった。
 その二年後だったと思うけど続編の「さよなら銀河鉄道999」が封切りになったときも期待でいっぱいになりながら初日に観に行ったんじゃないかと思う。そしてものすごくがっかりした。原作や一作目の映画に一貫していた青春の夢というテーマがまったく省みられていずだから行き当たりばったりのずさんなストーリー展開になっていた。早い話が二匹目のドジョウを狙う大人の都合でつくられた作品でファンをなめ切っているとしか思えなかった。こういう形でファンの思いを踏みにじるということは絶対に許せないと思った。
 一作目はその後何度か映画館で観て音源がすべて収録された四枚組のレコードも買って繰り返し聴いた。ビデオというものがまだ普及していない時代の話だ。ムックなんかも手に入る限り買った。それらは今も実家に大切に保存してある。ひとり暮らしを始めて初めてビデオデッキを買ったときもたまにレンタルビデオ屋で借りて観たりした。DVDが出たときにはすぐに買って最近は観ることもないけどそれは持っていなければならない大切な一枚だと今でも思っている。でも二作目はまったく振り返ることがなかった。忘れていたと言うこともできるし無かったことにしていたと言うこともできそうだ。それが最近家人がアマゾンプレミアムに入って「ケムリクサ」とか「からかい上手の高木さん」とか「ハクメイとミコチ」とか少し前に僕が楽しみに観ていたテレビアニメが観られると教えてくれていろいろ検索するうち「さよなら銀河鉄道999」が本当に久々に目の前に現れた。それでちょっと迷ったけど観ることにした。どう思ったか。大人の目で見てもやはりとんでもなくひどい作品だとしか思えなかった。原作のテーマが忘れられているからどのキャラクターにも必然性というものが無い。特にメーテルの存在感の薄さは目を覆うばかりだ。僕はメーテルというキャラクターが本当に好きだったからこそこの映画のひどさをたやすく見抜けたのかも知れない。こんなのが999であってはメーテルであってはいけないと。という訳でこの作品は僕の中で再び長い封印のトンネルに戻って行くことになった。

K先生のとびばこ。

 K先生は僕が小学校四年生のときの担任で算数と体育が専門のように思える男の教師だった。たぶん小学校教師に専門も何も無いんだろうけどなんとなくそんな印象があった。当時三十代半ばに見え髪はいつも爆発したみたいにつんつんしていてもみあげが濃く太った体はいつもスポーツウェアに包まれていた。剛胆と言うかあまり細かいことを気にしない人だったが怒ると恐いので一部の悪い生徒には怖がられていた。この先生については楽しい思い出があってそれは放課後生徒数人で教室に残って先生と話していると先生がお金を出して校門前の駄菓子屋でお菓子やアイスクリームを買ってくるよう言われることだった。僕らはそれを買って来て先生と一緒に食べながらまた話をした。そんなことが何回かあったような覚えがある。何を話していたのかは全然覚えていないけど先生から特別扱いされたようなうれしい感じはどこかにはっきりと残っている。もうひとつあってそれは夏休みの間の水泳クラブだった。クラブは誰でも入れたんだけどタイムの速い生徒は大会目指してがんばっておりそうでない生徒は好きなだけ泳ぐことができた。僕は後者だったんだけどこのクラブの担当がK先生だった。たぶん毎日数時間は泳いでいたと思う。9月が来てクラブが解散になるとき全員で25mプールの中を楕円を描きながら歩いて大きな水の流れをつくり流れるプールにして遊んだ。それは楽しかったけどクラブが終わってしまう寂しさは拭えなかった。その日が曇り空だったことまで覚えている。
 僕は鉄棒の逆上がりができなかったんだけどそれをできるようにしてくれたのもK先生だった。クラスの何人かが放課後校庭の隅の鉄棒に集められるとそこには何台かのとびばこが用意されていた。生徒ごとにとびばこと鉄棒の距離を調節した後先生はとびばこの最上段に足をかけて逆上がりをするように指示した。足先が充分に持ち上がっているそこから逆上がりをするのは簡単だった。その状態で十回連続で逆上がりが成功するととびばこは一段低くなった。そこでまた十回成功で一段低くなり、次もまた十回成功で一段低くなった。何度か繰り返すうちに、僕たちはとびばこをまったく使わない普通の地面からでも逆上がりを成功させることができるようになっていた。そこまでに数日かかったけど日にちの差こそあれ逆上がりができない生徒は結果的にひとりもいなくなった。すごい知識だったしすごい思いの強さだった。今僕も生徒さんがわからないところを教えるとき前へ前へと戻ってできるだけ基礎的で簡単なところから教えるようにしてるんだけど、ああ、これってk先生のとびばこと一緒だとその度に思う。

夏期講習が始まる。

 生徒さんたちが揃って夏休みに入ったので夏期講習が始まった。八月末までにいつもより百時間ちょっと余分に働いて受講料は全部で19万ちょっと。これが僕の夏のボーナスといったところか。勤め人の頃は最高で百万くらいもらった(バブル期の話だ。)ことがあるけど辞める何年か前からは業績不振でまったくもらえなくなっていた。もともとが給料の安い会社だったのでボーナスがカットされるとダイレクトに生活に響いた。来年は子供が大学受験で受験料だけでも結構かかりそうだし入学金や授業料のことを考えると完全にお手上げなんだけど少しでも備えておきたいと思う。おあつらえ向きに来年度から始まる補助の制度もあるらしいし。そんな子供は塾の片隅に専用の机と椅子を置いて勉強してるけどどうも受験生というにはいまいち真剣味が足りない気がする。と言っても高三にもなって親が勉強しろと言うのも変な気がして何も言わない。自分の人生は自分で何とかする年頃に来ているのだ。経済的なサポートは親がするにしても。

これもおもしろい。

 

失われた近代を求めて 上 (朝日選書)

失われた近代を求めて 上 (朝日選書)

 

 

失われた近代を求めて 下 (朝日選書)

失われた近代を求めて 下 (朝日選書)

 

 

  既刊の三巻本を選書として二巻本にしたというちょっと変わったいきさつの本。すでにオリジナルを読んだ方はダブらないようにご注意を。

 言文一致体の始まりと言えば二葉亭四迷の「浮雲」と相場が決まっているけどその一応の完成とは何かと問うとよくわからない。たとえば森鴎外の「舞姫」は文語体だけど「高瀬舟」は言文一致体になっている。では二葉亭四迷は鴎外に影響を与えていると言えるのかと言うとそれもよくわからない。漱石もほとんどの作品が言文一致体だけどこれも二葉亭四迷の恩恵を受けているのか。個人的にそんなところをぼんやり疑問に思っていた。この本を読んでその辺のこともはっきりした。結論から言えば鴎外も漱石も二葉亭の労作がなければ言文一致体の作品は書けなかったと言っていい。ただしそこにはもう少し複雑な過程と長い時間が必要だった。

 その他、いわゆる「自然主義」と呼ばれる幾人かの作家たちが実は自ら「自然主義」を標榜していない不思議、「自然主義」の代表作と言われるたとえば田山花袋の「蒲団」の恥ずかしさが二葉亭四迷の翻訳したチェーホフの「あいびき」に端を発していること、など、本当におもしろい論ばかりが並んでいる。論と言っても文体はこの作家の小説作品をより開いたものになっていて読みやすい。個人的にいちばん興味をかき立てられたのは漱石の「坊っちゃん」に関する論でこんなの読んだことないオリジナルさでしかも説得力がある。ここを読むだけでもとても楽しかった。

 作者はこの本を、近代文学史ではなく、近代文学史らしきもの、と位置づけているけどその根拠は論が時系列にならずある興味とかテーマに沿って時間を自在に移動しながら書かれているところにある気がする。もうひとつあるとすれば文学史に出て来る専門用語が根こそぎ疑われていることだ。文学史の前提をなす専門用語が疑われてしまえばいわゆる既成の文学史が書ける訳がない。そこに作者の自負が込められているように思われた。

読んでいて本当に楽しい。

 

本当の翻訳の話をしよう

本当の翻訳の話をしよう

 

  雑誌「MONKEY」は毎号購入するには高価でほんの数冊しか持っていない。この本に収められた対談と講演の初出はすべて「MONKEY」らしいのでほとんど読んだことがないだろうと思ってたら「村上柴田翻訳堂」の何冊かに解説替わりに再録されていたものもあってそれらは読んだことがあった(「チャイナ・メン」と「素晴らしいアメリカ野球」)。その他にこの前村上さんが訳されたチーヴァーの短編集に再録されたものもあってそれも読んでいた。さらにたまたま持っていた「MONKEY」に収録されていたものも当然読んでいた(「帰れ、あの翻訳」)。ということで全八本中四本は読んでいたのでなんだか勿体ないような気もするけどこの手のものは何度読んでも興味深くかつ気楽に楽しめるのでまあいいかと思う。そしてこれ一冊読むだけで読みたい本がどんと増える。ちなみにおふたりでそれぞれ五十冊ずつを挙げて計百冊の「復刊してほしい翻訳小説」のリストが載っている。この中から「村上柴田翻訳堂」で実際に復刊されたものもある。それらは昨年すべて手に入れて読んだんだけどその他にリスト上にあって僕の本棚にもある本が何冊かあったのでこの場を借りてやや自慢げに挙げさせて下さい。ティム・オブライエンの「カチアートを追跡して」と「僕が戦場で死んだら」、ドナルド・バーセルミの「口に出せない習慣、不自然な行為」、ロレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ」、ジュリアン・バーンズの「フロベールの鸚鵡」、リチャード・ブローティガンの「ホークライン家の怪物」。ミロラド・パヴィチの「ハザール事典」とマイケル・オンダーチェの「ビリー・ザ・キッド全仕事」も持ってるけど、今では手に入るようになっている由。絶版本を持ってるというのは個人的にはなんとなくうれしいことのひとつ。ところで村上さんの訳されたカポーティのアンソロジー「誕生日の子どもたち」はどうも未読のようだ。買ってこなきゃ。

いきなりステーキ。

 いつだったかわからないけどそう遠くない前に、立ち回り先と言うかある駅を中心とした割とよく行く繁華街にいきなりステーキの店ができたらしい。僕は知らなかったんだけど家人は知っていて先週食べに行きたいと言った。ちょっと意外な気がした。ステーキが食べたいと言うなんて結婚してもうすぐ二十年になるけどたぶん一度もなかったことだからだ。でもまあどちらかが何かをしたいと言ったらそれがなんらかの意味合いでとんでもないことでなければとりあえずするというのが暗黙のルールみたいになってるので(今までふたりが合意した中でいちばんとんでもなかったのは妊娠と出産と幼稚園へ上がるまでの子育てだった。)行ってみることにした。僕は特にここ一年くらいめっきり食べる量が減っていて何かを食べたいと思うことがあってもほんの少し食べれば充分だ。たまに外食してセットメニューなんか注文すると量が多すぎるんだけど絶対残してはいけないという母親の教育が強固に身を縛っているので全部食べて後で苦しい思いをする。子供と一緒のときはたいていかなりの量を食べてもらう。いきなりステーキではランチメニューを注文した。ステーキの量は選べるのでいちばん少ない200gにしてライスは普通盛り、それにサラダとスープがつく。ステーキには付け合わせとしてご飯茶碗小盛り一杯分くらいのコーンが載っているが、これはオニオンやブロッコリなど他のものと交換することもできる。それで税込1200円ちょっとなので安いと言えば安い。ただ普通盛りのライスは僕にはやはり多くて200gのステーキと一緒だと命からがら食べ終える形になった。はっきりと、若い人たちの食べ物だと思ったけど周囲の席には男女合わせて年配のお客さんも結構見受けられた。家人も同じ量を食べて全然余裕のようでステーキを食べると元気が出るなんて言っている。僕は後でどれほど後悔することかと思いながら店を出た。食べ過ぎたときの胸焼けや胃の痛みは僕の場合数時間後に始まる。それで戦々恐々と待ってたんだけど何時間経っても胃はなんでもない。確かにお腹は夜になっても全然空かないけど胃には何の問題も起こらない。すごく不思議だ。今日また家人が食べに行こうと言うので行った。家人は肉を300gに増やしてライスは小にした。僕は200gのままでライスはなし。ちょうどいい気がした。夜になっても胃に痛みは来ていない。
 今月末に家人は締め切りを控えている。でもいつもほどはテンパってないようだ。普段は長いと一週間くらい外食やコンビニ弁当が続くこともある。もちろんそれで全然構わないんだけど今回は手抜き、手抜きと言いながらも子供のお弁当もつくるし、三食の用意もしてくれている。主に景気とスタミナを両方ともつけるためにステーキが食べたいらしい。ただ家人の好みが変わったのは確かなように思われる。それともこれまで二十年間、稼ぎの悪い旦那に遠慮し続けてきたんだろうか。

ピッツバーグ・スティーラーズの頃。

 今日池袋のGUに子供の服を見に行ったらNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)とのコラボTシャツを売っていた。そうたくさんの柄は無かったんだけど思いついてピッツバーグ・スティーラーズのものを探すとあったので喜んで買った。アメリカのプロのアメリカン・フットボールは小学校六年のときに何がきっかけだったか男の子の間でものすごく流行った。僕は父親の仕事の関係で大宮市(現さいたま市)に住んでいた。テレビでは週に三十分だけいつのシーズンのものかわからない、何試合かをまとめたダイジェスト番組を見ることができ、その他に年一度のスーパーボウルは中継だか中継録画だかで見られたんじゃないかと思う。ただニュースソースは圧倒的に限られていたので多くはヘルメットのデザインだけでひいきのチームを決めていたような気がする。ニューヨーク・ジェッツのファンがいて、マイアミ・ドルフィンズのファンがいて、ダラス・カーボーイズのファンがいた。僕もしばらくの間ドルフィンズのチームカラーとヘルメットのデザインが気に入っていたんだけどあるときスーパーボウルで優勝したピッツバーグ・スティーラーズの黒を基調として原色を三色使ったデザインのかっこよさに目覚めた。クォーターバックの名前をはっきり覚えている。テリー・ブラッドショー。今調べると彼を擁するスティーラーズが優勝したのは1975年の第九回、76年の第十回、79年の第十三回、80年の第十四回のスーパーボウルということだ。僕はそれぞれ11歳、12歳、15歳、16歳だった。どの試合を見てどの試合を見ていないかは覚えていないし調べてもわからない。でも少なくとも二試合は見ていると思う。おぼろげな、と言うか、それ以上にはっきりしない印象にまで薄れてしまった試合の中ではブラッドショーが数々のロングパスを成功させスティーラーズは多くの点を取っている。試合自体ももちろんすごくおもしろいんだけどとにかくテリー・ブラッドショーは光輝いていた。
 その十代初めから半ば過ぎまでが僕にとってのピッツバーグ・スティーラーズの頃だ。ブラッドショーがいなくなってしまってからスーパーボウルはあまり見なくなった、と思う。後年セナが亡くなってからF1を見なくなってしまったのと同じように。でも今でもピッツバーグ・スティーラーズのファンなんだ、と思う。今でもセナのファンであるのと同じように。

令和、と初めて打ってみる。

 アイルトン・セナの命日だ。そして令和元年の最初の日でもある。令和は今使ってる何年か前のバージョンのATOKにはもちろん入っていないので学習させた。個人的なことで言うとうちの塾の創業も5月1日で今日から七年目が始まる。業種上3月か遅くとも4月1日までに事業を始めたかったんだけど諸般の事情でやむを得ず5月1日になった。でもセナの命日と重なって幸先がいいような気がした。神頼みに近いけどそういうものが必要なときというのもある。

手を合わす。

 東池袋の事故でまだ小さな女の子とお母さんが亡くなったところへ、学校帰りに自転車で子供が行き手を合わせ缶ジュースをお供えしてきたという。そういうところもあるんだなと我が子ながら思う。

バックパックにはいつでも栓抜きが入っている。

 「風の歌を聴け」の「僕」なら眉をひそめるかも知れないけどグラスに注がず口飲みで飲むなら缶ビールより瓶ビールの方がおいしいと家人も僕も思っていて、気の向いたときにいつでも瓶ビールを買って公園なんかで飲めるようにバックパックには栓抜きが入っている。昔の悪役レスラーがパンツに栓抜きを隠してるみたいに。でも栓を抜くのに使う部分以外はプラスティックでコーティングされているのでたぶん凶器としてはあまり役に立たない。今日は駅前のスーパーでおいしいサンドイッチを買ってビールの銘柄がたくさん揃っているもうひとつ別のスーパーで瓶ビールを買って公園で食べたり飲んだりした。家人はカールスバーグ、僕はハイネケン。どちらもとてもおいしいビールだと思う。カールスバーグは渋谷の立ち食いピザ屋CONAのデフォルトのビールだったので味を覚えた。今この店ではカールスバーグではなくキリンのハートランドがデフォルトになってると思う。ちょっと甘いけどハートランドも悪くない。ハイネケンは独特の臭みがとてもいい。若い頃は苦手だったけど今は気に入ってよく飲む。いつでも瓶ビールを買って、とさっき書いたけど戸外で気持ちよくビールが飲める季節というのは実はそう長くない。寒い時期はもちろん適さないし暑いとビールもぬるくなってしまうし公園によっては蚊が出たりでうちで飲んだ方が快適だ。だからお花見が終わった頃から初夏までと、秋口の二回、かなり短い時期に限られる。今東京は戸外が最も気持ちいいときだと思う。生き生きした新緑の美しさを眺めながらゆっくりと瓶を傾ける。せいぜい30分くらいの楽しみなんだけど季節を惜しむように梅雨が来るまで何度か繰り返すことになる。

大幅減収。

 今年になってから生徒さんが結構辞めた。一月にふたり辞めたんだけどこのうちひとりは推薦で進学が決まったからで仕方ないし想定済みだった。二月にもふたり辞めたけどそのうちひとりは一月同様進学が決まったからなのでこれも織り込み済みだった。まったく想定していなかったのは先月いっぱいで四人が辞めたことだ。きっかけは二月に塾で学力テストをしたことで揃いも揃ってものすごくひどい成績だった。まさかこれほどわかってないとは思ってなかった。塾としてはこれでは辞められても仕方ない。計八人辞めて減収は月収でなんと20万円弱。一時はかなりやばいところまで追い詰められたんだけど驚いたことにすぐにつぶれる兆しはない。わずかながら新たに入って来てくれる生徒さんがいたこと、前にも書いたように年度が替わってたいていの生徒さんの受講料が上がること、春期講習会を企画したら予想外に多い人数が申し込んでくれたこと、家人が新たに原稿料を得たことがその理由だ。辞めた生徒さんの中にはいろいろな意味で忘れがたい子もいたけどそれはもう仕方がない。同じ学力テストを受けて割とひどい成績だったにも関わらず春期講習会にも参加しうちに着いてきてくれることを決めた生徒さんもいる。そういう生徒さんに勇気づけられながらとにかく前を向いて進んで行く。でももう学力テストは二度とやらないつもり。

進級できるか。

 高一で一教科単位を落とした子供は高二でもう一教科落とすと進級できないことになっていた。三学期の期末考査が終わってまだ進級のための先生たちの会議は行われてないものの担任からは一応大丈夫らしいと話があったそうだ。進級できないと高二をもう一度やるのではなく放校になってしまうそうでそれだけは避けたかった。下駄を履いてみなければわからないけど何とかなっていたらいいと思う。

全篇本邦初訳。

 

橋の上の天使

橋の上の天使

 

  奥付を見るとこの本の初版が出たのは1992年6月となっている。底本はKnopf版の「The Stories of John Cheever」で先日触れた村上春樹さん訳「巨大なラジオ/泳ぐ人」と同じだ。二冊では「さよなら、弟」あるいは「ぼくの弟」のみかぶってるとこの前書いたけど読んでみたらもう一編川本三郎さん訳では「父との再会」、村上さん訳では「再会」というタイトルの作品がかぶっていた。なので川本さんの15編プラス村上さんの18編マイナスかぶった2編ということで、二冊で31編の短編あるいはエッセイを読むことができる。これは底本の61編のほぼ半分に当たる。訳者川本さんはおそらく初訳ということにこだわって作品選びをしているのですでに翻訳されたことのあるものはあえて収録しなかったということらしい。村上さんは代表作も訳しているのでそれが二冊の味わいの違いをつくっている。良い悪いの問題ではなく川本さんの本は全般的に地味目な印象を与え村上さんの本の方が印象は派手になる。それは後者が代表作という振れ幅の大きい作品を含んでいることから来ている。もうひとつあるとすればうまく言えないんだけど川本さんの本の方が作者のいろいろな面を幅広く感じさせてくれる気がする。バラエティーに富んでいる。それに比べると村上さんの本は印象の似た作品が収録されており統一感があるように思われる。だからなんだと言われるとだから二冊とも読んでみたらということになる。いつの日か61編すべてを翻訳で読むことができるといいと思った。

二度目の五百円玉貯金。

 今月は何かと物入りなのでしばらく前からよく覚えてないけどたぶん一年くらい続けていた五百円玉貯金を使おうと思って数えたらちょうど二百枚貯まっていた。十万円。三、四万あれば足りるし、もしかして五、六万になっていたらすごくうれしいと思っていたのを大幅に上回った。授業料でもらった五百円玉を全部と買い物のときのものを折に触れて貯めていただけなんだけど結構貯まるもんだな。半分の五万円だけ使って残りは貯金を続ける。