指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

バイト探しは続く・・・か?

 昨日結構な大雨の中をうちから歩いて10分ほどのところの例によってオフィスビルの何階かにある会社の面接を受けに行った。雨を甘く見ていて着いたときにはワラビーから靴下に水がしみこんでいるほどだった。先にメールで履歴書などを送っておいたので面接は15分ほどで終わった。理由はうまく言えないんだけどなんとなく肌に合わない気がした。なんとなく。それに時間帯が微妙に塾と合わない。普段はいいんだけど夏休みとかの講習の時は午前中も授業をするしそうなったときの時間の融通が利かなそうだった。合否は来週の後半知らせるということで途中で家人に頼まれた買い物をして帰った。午後は普通に塾で授業をした。
 今日は以前に履歴書と職務経歴書を送っておいた企業から封書が届いていた。封書が来るということは面接のアポを取る気がないということで要するに不採用ということだ。前職を辞してから半年ほど就活をやってたのでそのことは身にしみて知っている。念のため中を開くとその通りだった。ちょっと前のことなのでよく覚えてないけど保育園の事務とかそんな仕事で拘束時間は長いけど塾とは両立できるので応募したんだと思う。けどまあこの話もなくなった。
 もう一件数日前にも応募先からメールが来てそれはある施設の事務みたいな仕事だったんだけどうちから3分くらいとすごく近く時間帯も塾とかぶらなくて好都合だった。でも返事はもちろん駄目。理由は女性向けの施設なので男性は採用に適さないとのこと。でも後で募集のページを確かめると女性向けの施設だなんて一言も書いてないし現在の職員の中には男性も含まれるとちゃんと書いてある。クレームしようかと一瞬思ったけどそんなことしたところで採用の可能性が開ける訳じゃなし面倒なのでやめた。
 と、なんのかんので何社かには打診してるんだけど採用されなかったりされても辞退したりでもう一ヶ月が経っている。この状態をどう見るかと自問するとお前はほんとはバイトなんかする気がないんじゃないかという結論にどうしてもなってくる。確かに月に何万円かでも塾以外に収入があればすごく助かるんだけど清掃とかスーパーの品出しみたいな仕事は二度としたくないみたいだ。それとあんまり朝早いのもつらい。でありながら、塾の時間は完璧に確保したいので働きたい時間が限られてくる。夏期講習や冬期講習のときに時間を融通してもらえるのかといったことも割とネックになる。わずかながらしかない自分の得意なことを生かした仕事だといいなとも思っている。以上をまとめるとバイト探しに極限までわがままを言ってることになりほんとに探す気あるのかという疑いが我ながら拭いきれない。どうなることやら自分でも皆目見当が付かない。

採用辞退その2。

 PC関連のバイトのその後は、もう一度呼び出されて最終面接と適性検査を受けた。面接では勤務地が希望通りに行かない場合と、塾の仕事との両立について割にしつこく聞かれた。仕事を引き受けるかどうかは後で考えるとしてとりあえず採用されることを優先して答えたので先方としては満足の行く答えだったかも知れない。正直大変な仕事ですよ、とぶっちゃけたことを言われそれはその時点ですでに想像がついていたのでそれでも構わないと答えたりもした。もちろん構わなくはないんだけど。それで二、三日後にメールが来てまさかと思ったけど合格になっていて勤務地を知らせてきた。うちからそう遠くはないものの塾の時間帯には充分大きい影響を与える距離でいろいろ考えてやはり辞退することに決めた。それでその旨メールで知らせると翌日返信があって残念だが承知したとあった。円満に終わってよかったと思った。もう一箇所ちょっと変わった講師を募集しているところを見つけてすごく時給がよかったこともあって応募したら説明会に来いという知らせで今日行ってきた。詳しくは省くけど途中で例によって勤務地が遠くになるかも知れないと示唆されてまたかと思ってたらその後今度は同業他社は駄目という話が出て来た。同業他社とは具体的には何かと参加者のうちのひとりが尋ねるとまんま小学生向けの学習塾とか、という答えだったのでその後予定されていたテストを受けずに帰ってきた。まあ考えてみれば同業は駄目というのも無理のない話かも知れない。でもたかがバイトの面接なのに結構な時間かけて履歴書つくってネクタイ締めて慣れない革靴履いて今まで一度も降りたことのない駅まで出向いてエレベーターでオフィスビルの何階かに上がってこりゃ駄目だと思って帰ることをいったい何度繰り返せばいいんだと思う。石川啄木ならじっと手を見ると思う。

ツキが変わる。

 まずバイトの採用試験だけどテストはPCとかインターネットとかに関する用語についてで四択の問題が二十問くらい。PCの実技は特定のソフトウェアを使ってテンプレ通りのファイルがつくれるかどうかを試すものでブラインドタッチはまるで関係なかった。作文はその仕事をするにあたっての抱負みたいなものを書く。以上全部で一時間。用語のテストは結構わからないものがあった。実技もソフトウェア自体は使ったことがあるけど自己流なのでまるで使ったことのない機能も中にはあって、そういう機能を問われたところは全然できなかった。作文は文字数ぴったり書けたけど読み返してみたらすごく幼稚な内容で我ながら驚いた。結果はまだ送られてこない。面接で仕事の内容を聞くと思っていたのとは若干と大幅の間くらいに違っていてやって行けるか自信をなくした。なので当初のようにどうしてもこの仕事がやりたいという気合いは五割方失せた気もする。しかもうちから比較的近い場所に勤務先があるはずだったのにそこはもう人員が足りていてもう少し遠いところに努めることになると言われ、遠いと塾の授業時間にも影響が大きくなるのでそれはいやだなと思ったこともある。どうなるかは今のところまったくわからないしなんなら採用試験に落ちていてもあまり痛痒は感じないようにも思われる。
 この前中学生の定期試験があったんだけどある生徒さんの不得意教科のテストの成績が急に何十点も上がったということで親御さんがお菓子を持ってお礼にいらした。こういうのは本当にうれしい。特にここ何ヶ月か入る人が少なくて辞める人ばかりだったので自分はこの仕事に向いてないんじゃないかとか、生徒さんの成績を上げることなんてできないんじゃないかとか悩んでいたのでいやいや結果は出てるよと言われたみたいで心が一気に明るくなった。前後して久々に入塾希望者から連絡がありこれも気分を上げるのに役だった。四月以降実に半年にわたって見放されていたツキが、なんとなく変わってきたような気がする。

採用辞退。

 採用が決まっていた清掃のバイトを辞退した。前に書いたPC関連のバイトの書類選考に通り次の段階に進めることになったからだ。それに10月2日に行くことになり清掃は10月からスタートという話だったので日程的に合わずあまり引き延ばしても迷惑だろうと思って9月中(と言っても月末の今日だけど。)に辞退の旨メールで知らせた。返事は来てないけどまあそれはしょうがないかと思う。先方が腹を立ててても文句は言えない。ところで次の段階、と書いたのはその内容をメールで知らせてきたんだけど面接だけかと思ったらとんでもなかった。何か(なんの?)のテストがあってPCの実技があって作文があって面接がある。二時間以上の時間が取られている。ほとんど就職活動の二次試験みたいでたかがバイトを雇うだけとは言え大きな企業はやることが違う。学研の子会社に講師として登録するために五反田にあるばかでかい本社ビルに行ったことがあるけど(こう書いてると我ながら結構いろんなことをしてる。)こうまで大がかりな試験は受けなかった。ただ想像だけどPCのスキル以外になんて言うか人間性みたいなものの高さも必要となる仕事であり職場であると思うのでそこは慎重に見極められるんじゃないかと思っている。それとブラインドタッチができないのがネックになるかなあ。僕はほとんど自分で考えた文章やHTMLのタグをタイプするだけなので手元のキーボードを見ていれば事足りる。でもたとえば書かれたものを見ながらその通りタイプするというのは苦手だ。前職を辞めてからある就職斡旋の会社に登録したんだけどそのときに印刷物を渡されて時間内にどれだけタイプできるかという試験を受けた。一枚のうち半分くらいしか打てなくてそれがどの程度の成績だったか知らないけどあまり誉められた量ではなかっただろうと思う。あとMS-IMEを持て余した。普段はATOKだから。結果的にその会社からは就職の斡旋は一件も来なかった。とあまり自信が無いんだけど家人は何の問題か知らないけどテストと、PCの実技と作文と面接なら得意なことばっかりで楽勝じゃないと言う。そう言われるとそういう気もするけど単に買いかぶられているだけのようにも思われる。微分積分とかマシン語とかマクロ経済学とか出たって絶対わかんないよ、出ないといいけど。

高木さんの歌声は、なくしてしまったいろいろなものを思い出させる。

 

「からかい上手の高木さん2」Cover Song Collection

「からかい上手の高木さん2」Cover Song Collection

 

  今日発売された「からかい上手の高木さん 2 Cover Song Collection」をダウンロード販売で家人が買ってくれた。携帯音楽プレイヤーというのはカセットテープ版のウォークマンから数えて何台か買ったけど僕の音楽の聴き方には合わないみたいで結局使わなくなってしまった。家人なんかは洗濯物を干したりたたんだりとか料理してるときなんかもイヤフォンをつけてるけどそこまでして絶えず音楽を聴いていたいとは思わない。塾で英語のリスニングなどに使ってる安いCDプレイヤーでCDを聴く。ダウンロードしてもらったものもCDに焼いてもらって聴く。今日は全八曲をひと通り聴く時間しか無かったけど高木さんの歌を聴いてると今はもうなくしてしまった、あるいは憧れながら結局手に入れることのできなかったいろいろなものを思い出すことができる気がする。いや、なくしてしまったものひとつひとつを思い出すと言うより、なくしてしまったり手に入らなかったりしたとき心に残る感触のようなものを思い出しているのかも知れない。そこには自分が入って行くことを許されなかった特殊な世界の手触りがあり、自分がどうしてもそこに入って行きたかった無念な思いがある。高木さんの歌はそれが決して自分の手に入らないという喪失感を追体験させるように思われる。そしてそういう追体験をさせるものの数は実は決して少なくないのだ、僕にとっては。

バイトを探し続けている。

 一件決まった清掃のバイトは十月からということでどのように仕事が始まるかとか話を聞かなければならないんだけどできればやりたくないなと思っているのでとりあえず採用してもらったことへの感謝のみメールで伝えて先方からなんか言ってくるまで放置している。採用されたらすごくうれしいと思ってるPC関連の仕事はウェブ応募だけして面接まで行けるかどうかわかるのに一週間程度かかるということで待っている。もうひとつ前々からここで働けたらいいなと思っていた倉庫仕事があってずっと求人が無かったんだけど何ヶ月か前に前を通りかかると求人の貼り紙が出ていてスマホで写真を撮って一度電話でシフトのこととか聞いてみた。前職では商品のピッキングとか出荷のための装備とかいった倉庫仕事も結構やってて実はそういう仕事が地味に好きだった。少なくとも外回りで人と話したりするよりはずっと向いてる気がした。大体どうして僕を採用して営業職にしたのか前の会社の考えが全然わからない。ろくに研修も無かったしあったとしても相手と交渉して自分の有利な風に話を持って行く能力なんて無いばかりかそもそもそういうこと自体を忌み嫌っているのに。それはさておき仕事はピッキングと梱包がメインのようで楽しそうに思えた。ところがある日また会社の前を通りかかると、そこは道沿いにあるシャッターを上げて作業をしてるので仕事ぶりが外からも見通せるんだけど、ヒザをついたりしゃがんだりして作業している人がいた。前職を辞めてもうすぐ七年経つけどこの間にヒザの痛みがかなり深刻になってきた。手術をした右足はもとより右足をかばっている左足のヒザの痛みも結構ひどく正座なんてもっての外、しゃがむのもできそうもなくうちは椅子の生活ではないので床から立ち上がらなければならないんだけどそれがすでにつらい。そう考えるとちょっと無理なんじゃないかという気がしてきた。
 それで今は毎日ウェブでバイト探しをしてるんだけど年齢の高い人でも応募できる「シニア応援」という条件を入れると職種というのは大体決まってしまう。清掃か警備か介護かマンションの管理か。コンビニやファミレスなんかもないではないけど客商売はできそうもないので最初から勘定に入れてない。塾講師もあるけど自分の塾と時間帯が完全にかぶるのは当たり前の話だ。ウェブで長い仕事のリストに目を通しているとこれは純粋な時間の無駄じゃないかという気がしてくるけどたまーに心躍る仕事もあってそういうのを求めて半ば飽き飽きしながら探し続けている。

今シーズン。

 最近はあまり気に入ったアニメが無くてたまに「SHIROBAKO」を見る他、楽しみにしてるのは「からかい上手の高木さん2」だけだ。前者はストーリーとかおもしろいと思うんだけど女性のキャラクターがきちんとキャラクターになってるのに対し(その分基本的に顔はみんなおんなじ、というそしりを免れないにせよ。)男性のキャラクターは抽象度が低いというかデザインのコンセプトが女性キャラと明らかに異なっていて見ててなんだか気持ち悪い。異次元に存在する男性群と女性軍が同じ世界観の上に立ってると言うか。だからいつも違和感を抱きながら見ている。見なきゃいいのに、とも思うけど。「高木さん」は一作目も楽しかったけど二作目もとてもいい。いろいろ魅力はあると思うんだけどひとつだけ挙げるとすると高木さんのcvを担当している高橋李依さんの声。特に歌が気に入っている。歌に技巧なんて使いません、まっすぐ素直に声を出して歌うだけです、という潔い歌い方でもともと高音も低音もきれいな声なのでそれだけでなんとなく雰囲気がつくれてしまう。今度出るアルバムを家人が買ってくれると言うので楽しみにしている。(とか言ってたらTOKYO MXでは昨日で放映が終了してしまった。我ながらびっくりするほどショックで今もややへこんでいる。)その他、アマゾンプライムでは少し前に子供が「干物妹!うまるちゃん」と続編の「R」を見ていたので一緒に見たけどおもしろかった。最近は毎晩アマゾンプライムで「ハクメイとミコチ」を一話からひとりでこつこつ見ている。こういうファンタジーとしか言いようのない世界観がとても好きなんだと思う。特にこの作品ではファンタジーでありながら確固とした職業倫理に基づいた働き方や物作りが描かれていてその地に足の着いた生活感がとてもいい。そして不思議なことになんだかちょっと切ない。その切なさがどこからやって来るかは言うのが難しいけどもしかしたら生きることの切実さみたいなものが感じられるからかも知れない。彼らは身長九センチの体で、自分にとって決して譲ることのできない大切な倫理に従いながら、とても丁寧に切実に生きている。その体の小ささと思いの強さの対比が切なさとして感じ取れるのかも知れない。この切なさが個人的にはこの世界最大の魅力のように思われている。

やりたい仕事、やりたくない仕事。

 塾を始めてからやったバイトは三つで、ひとつは大学の清掃、もうひとつはカテキョ、最後がスーパーの品出しだった。前にも書いたと思うけど清掃の仕事は本当に大変だった。拘束時間が長くて朝七時から午前中いっぱい働いてお昼の休憩一時間を挟んで午後になってやっと終わるともう塾の開始まで三十分しか残っていない。自転車を飛ばして大急ぎで帰った。合わせて毎日十二時間くらい働いてそれが週六日。生活のために必死だったとは言え今から考えてもよくやってたもんだなという気がする。カテキョは楽だったけど移動時間が長くて結局は効率が悪かった。担当の子が卒業したのでお払い箱になったきり仲介の会社は次の生徒さんを紹介してくれなかった。今後も紹介してくれないだろう。それに万が一紹介してもらったとしてもよほど近くに住む子でもない限りもうやらない。スーパーの品出しは人間関係がよくなかった。別に自慢する訳じゃないけど僕はその気になればかなり感じよくなることができてそういう風に人から評価されることも珍しくないんだけどここではスタッフの何人かからはっきり目の敵にされた。店長とかとは仲良かったんだけどそういうせいもあったのかなあ。ここまで他人とうまく行かないというのは初めてだったかも知れない。それで塾の収入だけで暮らせる見通しが立った瞬間に辞めようと思った。ただそれとは別に体を動かすバイトをしてるときいつも思ってたことがあってそれは自分の能力(たとえわずかなものであったとしても)を生かした仕事がしたいということだった。たとえば文章を書くとかPC関連とかウェブ関連とか誰かに何かを教えるとか。もちろん職業に貴賎は無いと思うけど向き不向きというものはある。
 歩いてうちから一、二分のところのある施設に清掃の募集を見つけて今週面接を受けて今日採用になったとメールが来た。このまま行けばそこで十月からまた清掃のバイトが始まる。んだけどもうひとつPC関連のインストラクターの仕事にも応募していて本当はこっちの方がとてもやりたい。もともと人にものを教えるのは好きだしせっかくPCにも少しは詳しいしPCを使った仕事も嫌いではない。時給だってこっちの方がいい。拘束時間が長くて塾の開始に間に合わないんだけどそこは家人に何十分か任せることでなんとかなりそうだし拘束時間が長くてもやりたい仕事ならそうきついとは感じないような気がする。内緒だけどその他にもこの仕事にはやりたい要素があって面接まで進めるといいなあと思いながらここ数日を過ごすことになる。

デニッシュ・ペストリー。

 前にも書いたかも知れないけど学生の頃しばらくの間入り浸っていた喫茶店ではロイヤル・コペンハーゲンのデニッシュ・ペストリーを食べることができた。中にマロン・ペーストが入っていて真ん中に甘く味付けした栗がのっていた。特に栗が好きという訳ではなかったけどこのペストリーはとてもおいしくて週に一回か場合によってはもう少しの頻度で食べていた気がする。この経験からとにかくマロンのデニッシュ・ペストリーというのはおいしいものだという記憶が残った。つい最近行きつけのスーパーのひとつに何種類かのデニッシュ・ペストリーが並び始めその中にマロンのもあった。値段もそんなに高くなかったので試しに買って来た。簡単に言うと丸く焼いたクロワッサンの中にマロンのペーストが入っている感じで記憶の中にあったものと若干異なる気がしたけどこれはこれでおいしいのでたまに買うことにしている。一個食べるには量が多いので家人や子供と分けるとふたりとも気に入って今日はひとり一個で計三個買ってきた。でもこんなの毎日一個ずつ食べてたら絶対に太るに決まってる。どこかで足を洗わねばならない。それとも栗の季節が終われば店頭から消えるだろうか。

スマホ用のサイトをつくる。

 去年の記録を見ると、一学期の間平均して月に一人くらいの入塾希望者がいたんだけど今年は四月に入った中学生が二ヶ月で辞めてしまった他、七月にひとり入っただけで入塾が少ない。前にも書いた通り四月にまとめて辞めてしまったので当初の見通しでは左うちわの展開のはずだったのがかなりやばくなって来た。夏期講習の収入があったので今すぐどうこうということはないけど来年二月いっぱいで受験生が辞めると完全に生活が立ちゆかなくなる。一方で再びバイトを探し始めたが、もう一方で何年か前にやろうとして挫折したスマホ用の塾のサイトを立ち上げることにした。あと半年でなんとか生徒さんを集めなければならない。

 スマホ用のサイトについて調べると有料のサービスは結構見つかる。でも閲覧者がスマホであることを判断してPC用のサイトから自動で分岐することができれば(他ならぬはてなブログだってそれをやっている。)、その先のスマホ用サイトはHTMLで書けるはずだ。分岐のしかただけどある種のスクリプトが書ければ自力でもできるはずだと思われたのでそれに焦点を絞って調べてみた。すると「.htaccess」というファイルをウェブサーバに置くことでそれができることがわかった。このファイルはまんざら初めてという訳でもなくてまだ自分のサイトの制作を始めて間もない頃にメル友専用のサイトをつくってIDとパスワードを設定し、アクセスに制限をかけるのに使ったことがあった。(ある時期そんなことをするのがとても楽しかった。)親切な方がアップしている記事によるとスマホ用のサイトに分岐するためにこのファイルに書き込むべき文字列はたった五行。これをほんの少し自分の環境向けに書き換えてFTPでアップするとあっさり分岐に成功した。あとは何年か前に無料でいただいたスマホ用サイトのテンプレにHTMLで書いてカスタマイズしたサイトを用意すればできあがり。受講料の一覧なんかも忘れかけていたテーブルタグ(HTMLで表をつくることができる。)を使ってそれなりにきれいにできた。まだまだつくり込みたいところもあるんだけどとりあえず完全に0円で自作が可能。これで露出度が少しは上がるといいんだけど、まあ結果が出るまでには何ヶ月かかかるんだろうな。

早稲田を受ける。

 この前高校の三者面談があって子供と共に行った。担任は四十代くらいの女性教師で国語の担当だそうだ。とても穏やかそうな人で子供によると実際怒ったところを一度も見たことがないという。高三の夏休みなので話題は大学受験のことだった。六月に受けた模試の結果を見ると子供の第一志望は早稲田の第一文学部、第二志望は明治の文学部だった。第三志望はぐっと易しくなって専修大の文学部。合格判定は早稲田と明治がE、専修がC、つまり早稲田と明治はほとんど可能性がなく専修なら四割くらいの確率ということになる。偏差値を見ると得意の日本史は60台の後半だけど英語と国語は50を下回る。つまり平均点が取れていないということだ。早稲田に入りたいなら三教科で70近い偏差値が必要で日本史でさえそれには達していない。しかも英語と国語というのは一朝一夕で成績が上がるものではない。前にも書いたかも知れないけど僕は高二のときに一日五時間ずつ英語を勉強したけど偏差値に反映されるまでに八ヶ月かかった。本人は浪人覚悟のようだけどたとえ一年浪人しても早稲田や明治は無理のように思われる。でも担任の先生は第一志望に現役で受かることに焦点を当ててどうするべきかを話された。夏休みの勉強時間をもっと増やすこと、どれだけの時間でどれほど学習を進めるかの計画を立てること、早めに過去問にあたって出題傾向を見ておくことなどがそれだ。でも六月にこの成績でこれからがんばって来春早稲田に受かるとしたらそれは結構な天才のみになせる技のような気がする。ただ僕としては最後まで本人の希望を否定したくないと考えている。ちなみに第一文学部には演劇科があってそこに行って演劇を学びたいそうだ。役者か劇作家になりたいからと言うんだけどそれなら何も早稲田に行かなくてもサークルとか大学以外での活動とかでもなんとでもなるように思われる。面談後にそのことを言ってみるとそこは本人も迷ってるらしい。まあ迷うよね。でもそれとは別に早稲田を受けたいなら受ければいいと思う。やりたいことはやってみた方がいい。

さよなら銀河鉄道999

 1979年だからちょうど四十年前になる年の明日8月4日、映画「銀河鉄道999」が封切りになった。それを観に行ったときのことはもう随分以前に書いた。あまりの喪失感に家に帰っても何も手に着かなかった。自分が心の底から憧れる世界はいつも自分の手の届かないところにあった。自分にできるのはただその世界への思いを胸の中で絶やさないことだけだった。でもそれは本当に切ない行為だった。
 その二年後だったと思うけど続編の「さよなら銀河鉄道999」が封切りになったときも期待でいっぱいになりながら初日に観に行ったんじゃないかと思う。そしてものすごくがっかりした。原作や一作目の映画に一貫していた青春の夢というテーマがまったく省みられていずだから行き当たりばったりのずさんなストーリー展開になっていた。早い話が二匹目のドジョウを狙う大人の都合でつくられた作品でファンをなめ切っているとしか思えなかった。こういう形でファンの思いを踏みにじるということは絶対に許せないと思った。
 一作目はその後何度か映画館で観て音源がすべて収録された四枚組のレコードも買って繰り返し聴いた。ビデオというものがまだ普及していない時代の話だ。ムックなんかも手に入る限り買った。それらは今も実家に大切に保存してある。ひとり暮らしを始めて初めてビデオデッキを買ったときもたまにレンタルビデオ屋で借りて観たりした。DVDが出たときにはすぐに買って最近は観ることもないけどそれは持っていなければならない大切な一枚だと今でも思っている。でも二作目はまったく振り返ることがなかった。忘れていたと言うこともできるし無かったことにしていたと言うこともできそうだ。それが最近家人がアマゾンプライムに入って「ケムリクサ」とか「ハクメイとミコチ」とか少し前に僕が楽しみに観ていたテレビアニメが観られると教えてくれていろいろ検索するうち「さよなら銀河鉄道999」が本当に久々に目の前に現れた。それでちょっと迷ったけど観ることにした。どう思ったか。大人の目で見てもやはりとんでもなくひどい作品だとしか思えなかった。原作のテーマが忘れられているからどのキャラクターにも必然性というものが無い。特にメーテルの存在感の薄さは目を覆うばかりだ。僕はメーテルというキャラクターが本当に好きだったからこそこの映画のひどさをたやすく見抜けたのかも知れない。こんなのが999であってはメーテルであってはいけないと。という訳でこの作品は僕の中で再び長い封印のトンネルに戻って行くことになった。

K先生のとびばこ。

 K先生は僕が小学校四年生のときの担任で算数と体育が専門のように思える男の教師だった。たぶん小学校教師に専門も何も無いんだろうけどなんとなくそんな印象があった。当時三十代半ばに見え髪はいつも爆発したみたいにつんつんしていてもみあげが濃く太った体はいつもスポーツウェアに包まれていた。剛胆と言うかあまり細かいことを気にしない人だったが怒ると恐いので一部の悪い生徒には怖がられていた。この先生については楽しい思い出があってそれは放課後生徒数人で教室に残って先生と話していると先生がお金を出して校門前の駄菓子屋でお菓子やアイスクリームを買ってくるよう言われることだった。僕らはそれを買って来て先生と一緒に食べながらまた話をした。そんなことが何回かあったような覚えがある。何を話していたのかは全然覚えていないけど先生から特別扱いされたようなうれしい感じはどこかにはっきりと残っている。もうひとつあってそれは夏休みの間の水泳クラブだった。クラブは誰でも入れたんだけどタイムの速い生徒は大会目指してがんばっておりそうでない生徒は好きなだけ泳ぐことができた。僕は後者だったんだけどこのクラブの担当がK先生だった。たぶん毎日数時間は泳いでいたと思う。9月が来てクラブが解散になるとき全員で25mプールの中を楕円を描きながら歩いて大きな水の流れをつくり流れるプールにして遊んだ。それは楽しかったけどクラブが終わってしまう寂しさは拭えなかった。その日が曇り空だったことまで覚えている。
 僕は鉄棒の逆上がりができなかったんだけどそれをできるようにしてくれたのもK先生だった。クラスの何人かが放課後校庭の隅の鉄棒に集められるとそこには何台かのとびばこが用意されていた。生徒ごとにとびばこと鉄棒の距離を調節した後先生はとびばこの最上段に足をかけて逆上がりをするように指示した。足先が充分に持ち上がっているそこから逆上がりをするのは簡単だった。その状態で十回連続で逆上がりが成功するととびばこは一段低くなった。そこでまた十回成功で一段低くなり、次もまた十回成功で一段低くなった。何度か繰り返すうちに、僕たちはとびばこをまったく使わない普通の地面からでも逆上がりを成功させることができるようになっていた。そこまでに数日かかったけど日にちの差こそあれ逆上がりができない生徒は結果的にひとりもいなくなった。すごい知識だったしすごい思いの強さだった。今僕も生徒さんがわからないところを教えるとき前へ前へと戻ってできるだけ基礎的で簡単なところから教えるようにしてるんだけど、ああ、これってk先生のとびばこと一緒だとその度に思う。

夏期講習が始まる。

 生徒さんたちが揃って夏休みに入ったので夏期講習が始まった。八月末までにいつもより百時間ちょっと余分に働いて受講料は全部で19万ちょっと。これが僕の夏のボーナスといったところか。勤め人の頃は最高で百万くらいもらった(バブル期の話だ。)ことがあるけど辞める何年か前からは業績不振でまったくもらえなくなっていた。もともとが給料の安い会社だったのでボーナスがカットされるとダイレクトに生活に響いた。来年は子供が大学受験で受験料だけでも結構かかりそうだし入学金や授業料のことを考えると完全にお手上げなんだけど少しでも備えておきたいと思う。おあつらえ向きに来年度から始まる補助の制度もあるらしいし。そんな子供は塾の片隅に専用の机と椅子を置いて勉強してるけどどうも受験生というにはいまいち真剣味が足りない気がする。と言っても高三にもなって親が勉強しろと言うのも変な気がして何も言わない。自分の人生は自分で何とかする年頃に来ているのだ。経済的なサポートは親がするにしても。

これもおもしろい。

 

失われた近代を求めて 上 (朝日選書)

失われた近代を求めて 上 (朝日選書)

 

 

失われた近代を求めて 下 (朝日選書)

失われた近代を求めて 下 (朝日選書)

 

 

  既刊の三巻本を選書として二巻本にしたというちょっと変わったいきさつの本。すでにオリジナルを読んだ方はダブらないようにご注意を。

 言文一致体の始まりと言えば二葉亭四迷の「浮雲」と相場が決まっているけどその一応の完成とは何かと問うとよくわからない。たとえば森鴎外の「舞姫」は文語体だけど「高瀬舟」は言文一致体になっている。では二葉亭四迷は鴎外に影響を与えていると言えるのかと言うとそれもよくわからない。漱石もほとんどの作品が言文一致体だけどこれも二葉亭四迷の恩恵を受けているのか。個人的にそんなところをぼんやり疑問に思っていた。この本を読んでその辺のこともはっきりした。結論から言えば鴎外も漱石も二葉亭の労作がなければ言文一致体の作品は書けなかったと言っていい。ただしそこにはもう少し複雑な過程と長い時間が必要だった。

 その他、いわゆる「自然主義」と呼ばれる幾人かの作家たちが実は自ら「自然主義」を標榜していない不思議、「自然主義」の代表作と言われるたとえば田山花袋の「蒲団」の恥ずかしさが二葉亭四迷の翻訳したチェーホフの「あいびき」に端を発していること、など、本当におもしろい論ばかりが並んでいる。論と言っても文体はこの作家の小説作品をより開いたものになっていて読みやすい。個人的にいちばん興味をかき立てられたのは漱石の「坊っちゃん」に関する論でこんなの読んだことないオリジナルさでしかも説得力がある。ここを読むだけでもとても楽しかった。

 作者はこの本を、近代文学史ではなく、近代文学史らしきもの、と位置づけているけどその根拠は論が時系列にならずある興味とかテーマに沿って時間を自在に移動しながら書かれているところにある気がする。もうひとつあるとすれば文学史に出て来る専門用語が根こそぎ疑われていることだ。文学史の前提をなす専門用語が疑われてしまえばいわゆる既成の文学史が書ける訳がない。そこに作者の自負が込められているように思われた。