指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

結構ちょこちょこ直す。

 ブログは読み直して結構ちょこちょこ直す。昨日のエントリもいったんアップしてから十回くらいは直している。目的はよくわからない。より読みやすくとかより正確にとか言うと少し近づいた気もするけど本当は違う。ここ気に入らないから直しとこうというのがいちばん近い。とても感覚的で完全な自己満足だ。
 それで思い出したんだけど前々から気になってる表現がある。それはたとえばどこかへ行ったとき適切な時間より早く着いた場合に「早く来すぎた。」と言うことがあると思う。でも「来すぎた」ってどういう意味なんだ?あえて「来すぎる」の意味を考えるとある適切なポイントがあってそこまで達せられればそれでよかったのにそれよりはるか先にまで進んでしまったということなんじゃないかと思う。すると「来すぎた」を時間が早すぎたという意味で使うのは間違ってるような気がする。正確には「来るのが早過ぎた。」と言うべきなんじゃないだろうか。いずれにせよまあ細かい話なんだけどそんな感じで書き直してるということが言いたかった訳だ。何かが引っかかる。もっといい言い方を考える。書き直す。気に入ればおしまい。
 昨日のコンテンツの件なんだけどいいアイディアを思いついた。軽くコペルニクス的転回だ。前の会社にいたとき考えて結局ボツになった企画をサイトにしようというものだ。これは結構有意義な気がするし前の会社に義理立てする必要もない。と言うかもう誰に対しても義理立てなんかする必要がないのかも知れない。手間はかかるかも知れないけどやってみる価値はありそうだ。どうしてもっと早く思いつかなかったんだろう。九年前につくり始めることだってできたのに。いやそりゃさすがに無理か。まだ失業給付さえもらってなかったんだから。
 早稲田大学国際文学館から来た予約受付完了メールを他の不快なメールと一緒に削除してしまったことに気づいたのは昨夜寝る前のことだった。酔っ払った勢いでやったのが失敗だった。それで同施設にもう一度同じものを送ってもらえるか問い合わせたらすぐに送り直してくれた。とても親切だ。最後に大学に行ったのも九年前の11月頃結局なんの役にも立たなかった大学関連の再就職斡旋会社に何度か通ったときだ。あの会社はほんとに不親切で役立たずだった。この時期になると失業し立ての頃のことを思い出す。当時の自分に曲がりなりにも九年間は食いつないでいて子供は大学に受かったと教えてやりたい。どんなにかほっとすることだろう。
 秋の始まりなのに今年はオフコースを聴くのを忘れてる。聴かなきゃ。

Leo Lionniブーム。

 近くの文房具屋さんの前を通りかかったときふと目に留まったカレンダー。もしかしたら今年初めてつくられたものではなく何年も前からあったのかも知れない。それをあ、Lionniのカレンダーだくらいののりで例年流していたのを今年は「Frederick」がきっかけでLionniを再発見したので改めて強めに意識に上って来たということなのかも知れない。壁掛け用の大きいサイズと卓上用の小さいサイズがあったので後者を買うことにした。これは塾に置いて使うつもり。ちょっと小さいので書き込みとかには向かないかも知れないけど。今塾に置いてるのは糸井重里さんの傑作RPG「MOTHER」のカレンダー。これは専用のホワイトボードマーカーがついていて簡単な予定を書き込むことができる。生徒さんのお休みとか振替授業とか講習の予定とかを書き込んでる。来年のカレンダーもこれから出るかもう出てるかするのかな。去年はそれを買う1500円がなくて家人に買ってもらったんだった。なんだ去年も結構貧乏だったんだな。曲ははしだのりひことクライマックスの「花嫁」に替わる。名曲だなー。
 最近知ったことのひとつに前にいた会社の僕がつくってたサイトが削除されたということがある。一から十まで全部ひとりでつくってたある商品の紹介サイトで実は十何年分のコンテンツは全部うちに保存してある。一応会社に許可をもらってサイトのタイトルとかちょっと変えてレンタルしてるウェブサーバー上で公開できたらなと思う。あるいはどこかのブログサービスを借りるとかして。それが何かの役に立つとかいうことももうないんだろうけど愛着があるしなくなってしまうのは惜しい気がする。ただ前の会社に連絡するのがいまいち気が進まないんだよな。今でも許してないからね。曲はベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」に替わる。子供の頃父親が大好きな曲だった。
 大相撲は千秋楽でやはり照ノ富士関が優勝した。しばらく負けが込んでたソフトバンク・ホークスはこのところ追い上げをはかりつつある。今日勝って三位の楽天と1.5ゲーム差。まだ二十試合くらい残ってるらしいから三位に滑り込むことは不可能じゃないだろう。三位に入れればクライマックスシリーズに出場できるしとなれば日本シリーズも夢じゃない。守護神森投手もモイネロ投手も帰って来た。今日デッドボールを当てられた松田選手の容態が気になるけど打線にも当たりが戻って来たようだ。行く末が気になるところだ。曲は堺正章さんの「さらば恋人」に替わる。歌詞がシュール。子供の頃も意味がわかんなかったけど今聴いてもよくわかんない。でも超名曲。

ふたつの結末。

 昨日メールを送った母親からは今日の午後返信が来てご返信ありがとうございます、今後ともよろしくお願いします、とあった。辞めると言われるのも覚悟で送ったメールだったのでちょっと拍子抜けした。家人に話すとあなたの返信でぐうの音も出なくなったんでしょと言う。そうだといいなと思う。そしたら今日の授業の時間その生徒さんが本当に久しぶりに自習にやって来た。帰り際には宿題は出ないんですかと言うので宿題をやることも承諾したものと思われる。親子の間で対話があったならいいんだけど例によって母親が塾で宿題が出るからやりなさいと一方的に申し渡したのなら生徒さんがかわいそうだとも思う。いずれにせよまあとりあえずひとつの結末には辿り着いた。
 昨日の体験授業の生徒さんがご成約になったことがもうひとつの結末。今ほんとに塾はピンチなのでよかった。しかしまあいつになったら少しは楽になるんだろうなあ。あと一年半で十周年なのにね。

またしても。

 またしても自分でやらなきゃいけないことを塾に任せたがる親が現れた。体験学習に来たときから過干渉であることはわかっていた。ただ何しろ子供に対して一方的に言い渡すだけで子供の意志なんかまったくかえりみない感じがありこれはちょっとやだなと思った。受験に失敗して滑り止めの私立に通ってる中1の男の子でなんか燃え尽きてる様子がうかがわれるので自習でいいから毎日通って学習時間を確保したいという母親の意向だった。それ自体は別に構わないので承諾したらしばらくほんとに毎日来ていた。ところがここんとこ来ないなと思ってたら母親から出し抜けにメールが来た。それが昨日の夜だった。基本的に毎日通って欲しいので通常の通塾の日以外にも塾に行くよう促して欲しい、その際に次回はいつ何時に塾に行くか確認し必ず行くように約束して欲しいとある。はぁ?自習とは言え場所は貸してるし質問があれば答えるし塾側から見れば無償のサービスということになる。この上マネージメントまで引き受けさせられては荷が重すぎる。大体それくらいのこと塾に頼らず自分でやれよ母親なんだろと思う。でも過干渉が過ぎて子供は対話にはまったく応じてないんじゃないかという気もする。その他にも毎日宿題を出せだのテストが近いから「追い込み」(原文のママ)をかけろとか言って来ている。どう答えていいかしばらく考えて申し訳ないけど相手の弱点を突くのがいちばんという結論になった。宿題は出してもいいけど毎日必ずやって来るよう子供は自分で説得しろとか追い込みと言うけどこれ以上子供に負荷をかけると全部がいやになってしまいかねないから授業がきつくなることを予め子供に了承させろとか要するに子供との交渉は塾に任せるんじゃなく母親であるあなたがやってくれという趣旨の返信を書いてる途中にまたメールが来てどうやら母親が最近復職して子供への管理が手薄になりそれで塾へ来なくなったらしいことがわかった。もちろん同情すべき事情なのかも知れないけどこちらももう相当程度頭に来てるので委細構わず書いた通りのメールを送った。以来相手は沈黙してる。これで話が済めばいいんだけど。こういう親が周期的に現れるんだよな。困ったことに。

信じられない。

 三連休したら英語も数学も問題を解くキレが悪くなってた。さすがにちょっとショック。衰えないように気をつけなきゃならない年代に入って来たんだろうか。明日は体験授業だし慎重にやらないと。こんなことになるとは思ってなかったなあ。それと(元)高木さんは4巻目はちょっとおもしろかった。続けて読もうかどうか迷うところ。この前さんざん悪口言ってすいません。

自分で言うのもなんだけど。

 これ全部当てはまる気がする。子供好き、苦労人、ささいな気遣い、人と遊びに行かない。もっとも子供が本当に好きになったのは自分の子が生まれてからだけど。

https://trilltrill.jp/articles/2118374

連休の終わり。

 ホワイトボード用のイレーザーというのがあって要するに黒板で言う黒板消しのことで塾をオープンするときに買ったから八年ちょっと使っている。ホワイトボードを消す布製の部分に箱形のプラスチック製のケースがついていてこのケースが持ち手にもなる。消す部分だけ取り外して水洗いすることができるのでそこだけ一個スペアを買っといて洗ったら大体水を切って干しておきスペアの方に変えるというのを繰り返してこれまで使ってきた。ところがホワイトボードイレイザーというのは結構床に落っことすものでだんだんプラスチックの部分が欠けて行きついに最近ケースとしての用を果たさなくなった。そうなっても愛着があって捨てる気にはなれないからどこかにしまっておくつもりではあるもののそれはそれとして新しいのを買う必要があった。せっかくスペアも持ってるしそれはまだ全然使用に耐えるので同じものが欲しいと思って近々閉店になると言う池袋の東急ハンズに行った。八年前にそこで買ったしそんなの何年経っても仕様なんて変わらないだろうと思ったからだ。ところが行ってみるとホワイトボード周りのツールなんてほんの少ししか置いてなくてイレーザーにもほとんど選択肢がない。もちろん使ってるのと同じものなんてまったく見当たらない。すぐに見つかると思ってメーカーも型番も控えて行かなかったんだけどたとえ控えて行ったところで役には立たなかっただろう。ということですごすご店を後にする。帰ってからアマゾンで調べても出て来ないみたいだ。連休中まったく塾に足を踏み入れなかったので明日行ったらイレーザーのメーカーとか確認して改めて探そうと考えている。こうして三日間の連休が終わる。

連休。

 秋分の日は訳あって塾を休むことができないので代わりに明日の火曜日に休むことにして昨日から三連休。三連休なんてお正月でもとれない。一日目の昨日は家人の希望でCOREDO室町の芋屋金治郎へ芋けんぴを買いに行く。10時45分頃着くと11時の開店を待つ人がもう十人以上並んでいる。どこか別のところで時間をつぶして開店してからまた来るか迷うけどまあ並んで待ってようということになって待つ。結果的にはこの判断は正しくて開店したときには列が角を曲がって続いてて何人くらい並んでるかわからないほどで見えただけでも軽く五十人くらいは待ってた。十何人目でも会計が終わるまでに十分くらいかかったから開店後に来てたら買えるまでに一時間とかかかったかも知れない。天気がものすごくよかったので東京駅までゆるゆる歩き八重洲の地下街に下りて大丸の地下でお弁当を見る。我々にしてはぜいたくな価格帯でとりあえずオードブルだけ買って帰る。最寄りの駅に戻ってからコンビニでサンドイッチを買う。オードブルをつつきながらふたりで一杯やってサンドイッチでしめる。日曜日なので子供はラーメンを食べに行っている。昼寝から起きてだらだら大相撲など見る。北勝富士関が五日目から休場していてなんだか観戦に力が入らない。白鵬関も休場だし勝ちっ放しの照ノ富士関の優勝で決まりだろう。(と思ったら今日負けた。)メールチェックをするとサイト経由で体験授業の申し込みが久しぶりに来たので返信した後念のため電話をかけてスケジュールを調整する。夜はまた駅前まで行って夜になると値引きになる総菜とかお弁当とかスーパーで買って帰り子供と三人で夕食。午後11時からテレビ神奈川でオンエアの「銀河鉄道999」のテレビシリーズを見る。これは最近毎週見てる。作画が本当にひどいけど懐かしいことは懐かしい。もう四十年も前のコンテンツなんだね。
 今日は「フレデリック」を図書館に返しがてら久しぶりに歩いて最寄りのJRの駅まで行く。天神様にもお参りする。湿気はないけど日差しが強い。昼食と夕食の用意を適当に買ってバスに乗って帰る。今日は子供がいるので三人で昼食。家人と僕は例によって一杯飲む。昼食後子供は塾へ行って語学の勉強。大学で中国語をとっていて中国語ができると就職に有利と友人たちに言われたようで最近身を入れて勉強してるらしい。英語も話せるようになりたいとのことでなかなか大変だろうとは思うけど目標があるのはとてもいいことだ。前期試験は一応全科目が及第点だったのでこれなら奨学金も継続してもらえるだろう。昼寝から起きてしばらくすると子供が帰って来て家人とふたりで芋けんぴを食べながら順番にスプラトゥーン2をプレイしている。お休みの二日目が早くも暮れようとしている。

ちょっと困った。

 「からかい上手の(元)高木さん」はブックオフに一巻がなかったので二巻目から読み始めたんだけどちょっと困ったことに個人的にはあまりおもしろく感じられない。これは一巻目を読んでないこととは無関係に思われる。本家の高木さんがいいのは高木さんが大好きな西片君に対してからかうという形で愛情表現をしてるのに高木さんに比べて格段に子供な西片君がそれに気づかず高木さんが切ない思いをしたりあるいは西片君が少しだけ察する場面がたまにあってそういうときに高木さんがすごく喜んだりするそのいずれにしても秘められた思いを描いてることにあると思う。本家の四巻目で後々ふたりが結婚することが明らかになってそこからのスピンオフで(元)高木さんが始まったといういきさつだと思うんだけどすでに何も秘められてない状況でのこのふたりのやりとりには陰影というものが全くなくこれを読んで何がおもしろいんだと思わなくもない。ふたりの娘である「ちー」が魅力的かと言えばこれが意外にそうでもない。子育てをしてきた者としてこれってあるあるだよねと共感できる要素も特にない。決定的なことを言ってしまうとまんがとしての間が悪くてときどき何が言いたくてこういう台詞回しになってるのかよくわからないことがある。コマ割りとかもすごく大きなコマになってるから何か重要なことが言われてるかというとそうでもなかったりしてわかりづらい印象になる。高木さんからの流れで無意識に多少のことには目をつぶって読んでるファンの方には申し訳ない。でもまあ正直に言えばそういうことだ。三巻と四巻を買ってあるのでこれから読むけど印象はあまり変わらないんじゃないかという気がする。

「I know it.」。

 「Frederick」のラストで他のネズミたちから君は詩人だねと言われたFrederickはほほを赤らめてお辞儀をした後恥ずかしげに「I know it.」と答える。普通に訳せば「知ってるよ。」でいいと思うし文意としても不自然なところはないように思われる。回りくどく言えば自分を詩人と自己規定してるひとりの芸術家が周囲の人にも芸術家として認められ受け容れられるラストでもしかしたら誰にでも伝わるものではないかも知れないけど個人的には割にしっかり感動する。もちろんそれは作者自身のとても切実な願望や経験が反映されてると読めることが大きな一因になっている。春夏秋と他のネズミたちが一生懸命働く中一見何もせずにさぼってるかのようなFrederickが密かに受け取っていたいろんな感情や情報を冬ごもりの巣の中で美しい言葉に直して他のネズミたちの前に取り出して見せるとき芸術家とは本来そうあるべきなのだという作者の思いがダイレクトに伝わって来る。んだけど実はこれは余談。本題はこの「I Know it.」を訳者の谷川俊太郎さんがどう訳しておられるかということだ。最後のページから引く。

フレデリックは, あかく なって おじぎを した。
|そして, はずかしそうに いったのだ。 「そう いう わけさ。」
(スペースは原文のママ。また読点(、)のかわりにカンマ(,)が使われている。)

 これを読むと原文を知ってるからこその不思議な感動がやって来る。それは原文から感じられるのとはまたひと味違った種類の感動だ。もちろん谷川さんは原文と訳文をつき合わせて読まれることを想定されてないだろう。原文が読めれば翻訳を読む必要は原理的にはないのだから。だからご自分の翻訳上の工夫を原文を参照の上で評価されるということもまた想定されてないに違いない。だから「I Know it.」を「そう いう わけさ。」と訳されたのは単に「知ってるよ。」と訳したのでは何かがそぐわないと判断されてのことと思われる。実はそのそぐわない理由が僕にははっきりとはわからない。たとえば「知ってるよ。」だとわずかに傲慢な感じがして英語でなら成り立つけど日本語にはなじまないと考えられたのかも知れない。「知ってるよ。」では何を知ってるかがわかりづらいというご判断なのかも知れない。そこははっきりしないけど「そう いう わけさ。」では原文にある率直な感じが弱められていると言うかぼかされていると言うかそういう感触があってそこに谷川さんの優れた言語感覚が込められているように感じられる。それが原文と比べて読んだとき独特の感動の根拠だ。
 それはもちろん特殊な楽しみ方に違いないんだけど原文と訳文をつき合わせて読む楽しみはそんなところにある。小説とかでは難しいけど絵本ならたいてい何とかなるのでこれからもそんな読み比べをして行きたいと思っている。

曇りときどき雨。

 出かける前にお昼を食べて行くと子供が言うので午前中に自動車免許の更新に行こうと思ってたのを急遽変更して遠くの西友に行って帰りに安いお弁当を買って来ることにした。お昼に子供がいなければ夫婦で適当なもので済ましてもいいんだけどいるとなるとそれなりの準備をしなければならない。そういうときにはその安いお弁当屋さんがとても便利だ。ご飯がちょっと足りないようなのでうちで炊いて足してあげるんだけどそれを別にすれば子供もとても気に入っている。家人も楽だし僕としてもまったく異存がない。西友では今日の夕飯の準備とか明日の朝食の分のパンやスープ、お菓子や僕の酎ハイなど細々した買い物をする。スープはキャンベルの缶入りのものがカルディーなんかと比べても安くてミネストローネとコーンスープをよく買う。ミネストローネはパスタと野菜しか入ってないので家人がベーコンとかソーセージとか足してくれてそうするとよりおいしい。具だくさんのコーンスープはこしょうがよく合うので一口飲んだだけでむせるほど振りかける。パンも安くておいしいのがある。酎ハイも我が家の立ち回り先の中では最安値だ。今は好物のトマトの値段が高止まりしてて見かけも全然おいしそうじゃないのでカット野菜を買って来てサラダにして食べるのがリーズナブル。ドレッシングはキューピーのイタリアンドレッシングが気に入ってる。家人は辛すぎると言うんだけど僕にはちょうどいい。それと時期的なものなのか最近鰹のたたきが比較的安いのでたまに買っては昼時の一杯のアテにしている。ちょっと多めに買って子供と分ける。僕は刻みネギとチューブのショウガを添えてポン酢で食べるのが好きだ。子供は刻みネギに醤油で食べる。ミョウガもあるといいけどちょっと前まで三本入りパックで98円くらいだったのが今は百数十円なので我慢する。家人は魚が苦手なので鰹はパス。それからお弁当。僕は八宝菜と白身魚のフライタルタルソース付きが最近気に入っててそればかり食べている。そのお弁当屋さんは常時20種類強のお弁当を自分のところでつくってて中には揚げシュウマイの餡かけみたいなちょっと首をひねりたくなるようなものもある。でも基本的にはどれもおいしいしコスパはものすごくいい。西友を出た後少ししてぽつぽつ降り始めた雨がお弁当屋さんを出るともう少し本格的に降り出した。急いでバス停の屋根の下に避難する。家人は子供に電話して洗濯物を取り込むように頼む。雨の匂いがする。僕らにとって雨の匂いとはアスファルトが水で湿るときの匂いだ。もしも森の中とかに住んでたら雨の匂いとはどんな感じなんだろう。と考えても仕方ないことを考える。バスがやって来る。混んでてひとつしか席が空いてなかったので家人に座ってもらう。バスを降りるともう雨は上がっている。曇りときどき雨。降水確率は10%だったけど10%というのは十回あったら一回くらいは雨が降るという意味だからまあたまには降るやね。

子供のワクチン接種二回目。

Frederick (English Edition)

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 午前9時から9時15分までの間に行かなくてはならず結構早い。家人がパンケーキが好きで子供の接種を待ってる間朝マックのパンケーキを食べると言うので家人に付き添いに行ってもらう。僕は洗い上がった洗濯物を干してから気を利かせて他にもいろいろ洗濯して干す。接種は無事終わり子供は今帰って来て特に変わったことはないと言う。まあしばらく様子を見なければならない。とりあえず二回目の接種が終わってかなり安心だ。
 「Frederick」のことを話すのを忘れていた。一週間くらい前に届いて読んでみたら割にいい話でちょっと涙ぐんだ。芸術家が周囲に受け入れられる話だ。訳して読み聞かせしてくれと家人が言うんだけどさすがにそれはちょっと照れくさいのでこの前ブックオフに行ったとき翻訳を探したんだけど在庫がなかった。原書と翻訳両方持ってる絵本も多いので買うのにやぶさかではないんだけどとりあえず図書館で探したら蔵書があったのでリクエストする。そのブックオフに行ったとき「くノ一ツバキの胸の内」の二巻目と「からかい上手の(元)高木さん」の二巻から四巻までがそれぞれ110円で出てたのでちょっと迷った後結局買った。(元)高木さんにまで手を広げるつもりはなかったんだけど110円ならまあいいかと思ったのと塾の生徒さんたちが喜ぶんじゃないかと思って。他に読む本があったのでまだツバキの二巻しか読んでない。この作品はなんかちょっと迷走してる気がする。
 子供は寝てしまった。もうすぐ大学が始まる。

とにかく読み終えた。

 読むのは速くなくて普通の単行本で小説の場合一時間に40ページくらい。これは年齢に関係なく若い頃から大体同じだ。難しい本になると当然スピードが落ちる。この本の場合は一時間に20ページ行ければいい方だったんじゃないかと思う。それでも科学史というのはほぼ未知の分野で興味があったし読み始めればおもしろいのでそれを動力にしてしずしずと読み進めて行った。余談だけどこの本も店頭に並んだ当時手に取ってみようかなあと思った記憶がある。そして難しそうだと思い込んで手を出さなかった。今読もうと思ったのは山本さんの本を二冊曲がりなりにも最後まで読み通せたからということが大きい。この本の場合一割くらいまったくわからなかったところがあった他は大体理解できたと思う。
 磁力は主にヨーロッパにおいてどのように解釈されて行ったかということがテーマだ。考えてみれば僕の知識では磁力の正体なんて全然わからないからお話としては大変興味深い。時代は紀元前のプラトンから13世紀のロジャー・ベーコントマス・アクィナス、ペトロス・ペリグリヌスまで。それ以降の時代は二巻目三巻目で論じられるだろう。話題は磁力に留まらず広く自然をどう解釈するかという自然哲学史の相貌を帯びる。特にアリストテレスの哲学が古代ギリシャの終焉を経てローマ時代に入るとヨーロッパではほぼ完全に見失われむしろイスラム圏がそれを保存し研究を続けていたという流れには驚かされる。(世界史としてはごく当たり前の知見だったらごめんなさい。)後に中世のヨーロッパはイスラム圏との交流を通してそれが知的にも経済的にもはるかにヨーロッパをしのいでいる事実に驚きまたそこでアリストテレスを再発見するに至る。その著作のほとんどがラテン語に訳され中世ヨーロッパの知識人たちに多大なる影響を及ぼす。しかし中世の神学は自然の中に神の意志を見いだすことを目的にしていてアリストテレスの自然学の合理性とは相容れない。それをトマス・アクィナスが「力業」で統合したと言うんだけどその構図はよくわかるもののアクィナスが通った理路が読んでも全然わかんなかった。術語の定義が曖昧なままに読み進めたからだと思う。でもその何十ページ以外はなんとか着いて行くことができたみたいだ。いちばん驚かされるのは中世ヨーロッパにおけるアリストテレス自然学の影響の大きさだ。個人的にはアリストテレスなんて読んだこともないし読んでも多分理解できないだろう。そればかりでなく筆者の書物の渉猟ぶりにも舌を巻く。二巻目もしずしずと読んで行くことになる。

パパに似てる。

 家人の靴の底に穴が空いてしまったのでいつも靴を買うブルーブルーエを目指して昨日ISPに行った。この店のスリッポンは何しろ安い。それに履きやすいと言うのでここ何年か靴はブルーブルーエで買うことにしてる。今履いてるのと似たようなのがすぐに見つかりサイズも合ったので買った。それから他の店を見たりしてうろうろした後どういう訳かもう一度同じブルーブルーエを見に行った。なぜ二度も同じ店に行ったのかつい昨日のことなのによく覚えてない。そこで見つけたのがフレデリックのぬいぐるみ。レオ・リオニの絵本は子供の頃は持ってなくて大人になってから出会ったんだけどあおくんときいろちゃんとかスイミーとかぜんまいねずみとかお話も含めて結構気に入っててフレデリックも同様だった。しかもこのぬいぐるみの出来がもう最高と言ってよくてもしかしたら原作の絵よりもかわいいかも知れない。値段も千円ちょっとで即買い。となりに置いてあった11ぴきのねこのタオル地のハンカチもすごくかわいくてタオル地のハンカチは家人がよく使うので一緒に買ってプレゼントする。11ぴきのねこには弱いんだよなあ。未だに商品化されるんだから人気も高いんだと思う。それで帰ってフレデリックは自立するので立たせて置いといたら家人と子供がパパに似てると言う。確かにたれ目でいつも眠そうなのでそう言葉にすると目は似てる可能性もあるかも知れない。それで家人も相当気に入ったみたいで今日出かける途中にある別のブルーブルーエにわざわざ寄って同じものをもうひとつ買った。僕のは塾に飾るつもりだったので家にもひとつ置いておきたかったらしい。
 僕はコレクターと言うほどじゃないんだけど若い頃から割にこつこつ絵本を買っていて子供のために買った分も含めると二百冊近く持ってるんじゃないかと思う。もちろん11ぴきのねこシリーズも全部持ってる。英語の原書も結構あって全体の三分の一近い。小説なんかはとても無理だけど絵本くらいなら辞書を引かなくても読めるし翻訳で読むのと英語で読むのとは印象が全然違う場合もあって読み比べるのも楽しい。でも考えたらリオニの作品は一冊も持ってない。「アレクサンダとぜんまいねずみ」がお話としてはいちばん好きだけど「スイミー」と共に小学生の教科書で読めるし今回せっかくぬいぐるみが手に入ったこともあるしでフレデリックを買うことにした。アマゾンでユーズドを探すと千円しないで原書のハードカバー版が出て来る。まずは原書で読んでみようと思ってそれを発注。届くのが楽しみだ。
 話は変わって今日家人がぬいぐるみを買った後買い物に出かけていつもの安いお弁当を三人分買って帰る途中前にスーパーでバイトしてたときの先輩で結構高齢の男の人を見かけて声をかけた。バイトを辞めてからもそのスーパーに行くとたまにその人がいて挨拶してたんだけど最近ここ一年くらいかなお見かけしてなくて辞めちゃったのか体でも壊したのかと心配していた。聞くとスーパーは辞めてなくてただ開店前の早朝品出しが終わると帰ってしまうシフトに変更になったので客と接する機会はほぼなくなった由。とりあえずお元気でひと安心。それではまたと言って別れたけどそういうことならもうお見かけする機会もないのかも知れない。でも今日ためらわずに声をかけてよかった。少し先で待ってた家人が誰か尋ねるので名前を言うと家人も覚えててそれにしてもよく気がついたねと驚く。人の顔をすごく覚えてるのは全然役に立たない特技。ただどういう訳かキスマイの二階堂君と千賀君は見分けがつかなくてたまに家人に笑われる。