指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

野球がしたい。

 言うまでもなく運動神経が鈍い訳だ。これは子供の頃からなのでほとんど先天的と言っていいと思う。でも小学生のとき一時期クラスの野球チームに入れてもらってたことがある。ひとクラスに男の子が二十人ちょっといる中からキャッチャーを除いた八人でチームを組む。なぜキャッチャーが除かれてたのかはよくわからない。単にキャッチャーミットというものが手に入りづらかったからかも知れない。キャッチャーというものの役割をみんなあまりよく知らなかったからかも知れない。とにかくキャッチャーというのはなぜか相手チームの子がやることになってた。ということはキャッチャーフライをわざと落としたりとかしてもいいことになってたんだろうか。盗塁とかはどうしてたんだろう。もう覚えてないけど。そのチームでピッチャーを任されてたのは別に球が速いからという訳ではなく単に守備が下手だからという不名誉な理由による。ピッチャーの守備の機会って他のポジションと比べてもいちばん少ないから。以来ブロック塀を相手にひとりで随分投球練習をした覚えがある。ストライクゾーンはこのブロックと自分で決めてしかるべき距離からボールを投げる。ブロック塀を越えてしまう暴投もたまにはありながらだんだんとストライクゾーンに行く球の数は増える。野球は観るのもするのも大好きだったからこの投球練習には没頭した。と書いてきて思い当たるのはもしかして野球のルールにとても詳しかったからクラスで八人しかいないチームに加えてもらってたのかも知れないということだ。もっともインフィールドフライなんて高度なルールを知ってたってそれを宣言する審判もいないような試合だった訳だけど。相手のチームが見つかると放課後粗末なバックネットのある公園に集まっていっちょ前に九回までの試合をした。子供心にこれがとても楽しかった。投げるのも打つのもいちいちわくわくした。でもそれ以来野球の試合をやって楽しかったという思い出はたぶんない。中学校の授業中ソフトボールの試合をやったような気もするけど大きなボールと下手投げのピッチングというのが感興を削いだんじゃないかと思う。大学に入ってから理由はよく覚えてないけど学外の草野球チームに入れてもらったことがある。でもこれは人間関係について行けなくてすぐに辞めてしまった。集団に対する苦手意識が自分の中にはっきり形成されてくる時期でもあった。今でも既成の集団に入って行くことはそれほど得意じゃない。でも最近水泳を始めたせいかさにあらずかもう少し体を動かしてみてもいいかなと思うようになった。となるとまずは大好きな野球に白羽の矢が立つ。塾で暇な時間にスイングの真似をしてみる。すると我ながらなかなか堂に入ったフォームのように感じられる。最後に行ったバッティングセンターでは百キロのストレートも打ちあぐねてた記憶があるのになんか当たれば一直線に球が飛んで行くようなイメージが湧く。すると無性に野球がやりたくなる。時間の捻出とか怪我の可能性とかいろいろ考えると現状では敷居が高すぎるのは重々承知なんだけどもう一度野球ができたらいいなと思う。野球が本当に好きだと思う。BGMはユーミンの「まぶしい草野球」しかない。
 今日のスイムは23分37秒で千とほんのわずか記録更新。タイムの縮まり幅は明らかに頭打ちになって来ている。しかも泳ぐのがつらい。今日は意図的にペースを落とすことはしないで済んだ。でもその分きつい。三百とか四百とかでもう着いて行けないと思う。自分のペースに自分で着いて行けないというのも変だけどある意味での極限状態に達するとすでに自己は分裂してるので実感としては全然変じゃない。体はいい気になって自分のリズムを刻む。こちらはそれに黙って従う。この二項対立はおそらくこれからもずっとついて回ると思われる。体というのは「自然」の一部であり、そうであるからには「世界」と「自分」という腑分けでいえば「世界」に属している。たとえば体調を崩したとき体は「自分」にとって敵とまでは言わないけどコントロールできない「他者」と感じられることがあると思う。その意味でも体は「自分」じゃなく「自然」に、もっと言えば「世界」の側に立つ存在と見なすことができる。ということは自分の体が自分にとっての最初の「他者」であり「自然」であり「世界」ということになる。と思う。だから僕はフランツ・カフカのものとされる次の言葉がとても好きだ。曰く、「君と世界の戦いでは世界に支援せよ。」。

Tシャツについてのエトセトラ。

 プレイステーションのTシャツを二種類とスプラトゥーン3のTシャツの同じのを二枚持ってる。いずれもユニクロで昨年買ったものだ。スプラトゥーン3のはまだ一枚しか下ろしてない。プレステのもこの前片方を下ろしただけでもう一枚は温存してある。とは言うものの実はプレステもスプラトゥーンもやらない。せいぜいが家人がやってるのを隣で見てるくらいだ。でもいずれもデザインが気に入って買った。この前いつだったか塊魂のTシャツをユニクロが出しててこのゲームは随分前にかなり熱心にやってたので欲しかったんだけどデザインが今イチで買わなかった。今はゼルダの伝説のTシャツがやはりユニクロにあって家人に買ったらと唆されている。もちろんゼルダなんて一度もやったことがない。でもデザインさえよかったら買ってもいいかなとは思っている。という程度にはゲームをモチーフにしたユニクロのTシャツが結構以前から好きだ。パックマンとかギャラクシアン(だったかギャラガだったか)とか何種類かのゲームのTシャツを前の会社で主に力仕事をするときに着ていた。割に気に入ってたけどリストラされるときに験が悪いと思って全部捨ててしまった。それはちょっと後悔してる。でもまあそれくらいにはむかっ腹が立ってたということだろう。それは理解できるしどちらにしても今更言ってもしょうがない。
 最近買った11ぴきのねこのグラニフから出てるTシャツは三千五百円となかなかのお値段だった。通販も合わせて三枚買っちゃったけど。品質という点では千五百円のユニクロのものも特に遜色はないというのが実感だ。最初に駄目になるのは襟の部分でひびが入るみたいに繊維が細かく割れる。これはユニクロだろうがグラニフだろうが違いはない。気に入ったTシャツはそうなってもとってあったり無理矢理着続けたりしている。襟首のひび割れたTシャツというのもなんとかおしゃれに見せられないかなと思うんだけど家人に尋ねるとそれは着る人によるんじゃないかなと言って何人かの俳優さんの名前を挙げたのでお前には無理とやんわり言われてるんだなと解釈した。確かにそれにはある種のワイルドさが必要かも知れない。そしておそらく僕にはそういうものが六十年このかた一度も備わったことがない気がする。でもグラニフの11ぴきのねこのとユニクロ村上春樹さん関連のはおいそれとは捨てる気になれないので無理矢理着てるしこれからも着続けるつもりだ。プリントは意外と色あせないのでいよいよとなったらハンガーにかけて飾っておこうかとも考えている。その前に飾れる場所を探さなければならないんだけど。
 今日のスイムは24分21秒で千。目標よりは遅いが腹を立てるほどではない。

二重あごが目立たなくなりつつある。

 今日のスイムはアップルウォッチによると32分43秒で千七十五メートルとよくわからないタイムと距離。大体千七十五メートル泳いでたら二十五メートルプールのスタートとは反対側のプールサイドにいなきゃならないのに実際にはスタートと同じサイドで泳ぎ終えてる。しかも昨日より九分も遅いなんてちょっと信じられない。バイトを終えて帰宅してアイフォンで詳細を確認すると(アイフォンに飛ばした方が詳しいデータが見られる。)千からの五十メートルを6分57秒かけて泳いだことになってる。なんだそれ?確かウォッチを止めた段階で千五十メートルと表示されててまた数え間違えたと思ったことは記憶してるのでそれからなんらかの理由でウォッチがカウントを続けたとしか思えない。それか壊れたのかも知れない。どちらにせよ百メートル毎のラップタイムを十個足すと千メートル時点で24分12秒となる。とすると昨日より三十秒遅いけどまあまあ信頼できる数字な気がする。という訳で今日のタイムはそれを採用しとく。
 高校生のときに体重がマックス八十二キロになったときからずっと二重あごでそれはそのときから十キロ以上減ったこの年まで変わらなかった。でも昨日だったか鏡で確認すると随分目立たなくなってるように見えた。完全に消えてなくなった訳じゃないんだけど明らかに小さくなってる。泳ぎ始めてそろそろ五ヶ月。体つきには穏やかに変化が見られる気がするけど二重あごもそのうちのひとつなのかも知れない。これは二十五年前に毎日二千メートルずつ泳いでてもなかった変化なのでその頃よりも運動量が多いとかプロテイン飲んでるせいとか考えることができそうだ。前にも書いたように二千メートル泳いでた頃は二十五メートル毎に立って休んでたので千メートルひと息に泳ぐ今の方が運動量が多いというのは考えられないこともないかも知れない。プロテインも推奨量の半分だけど毎日欠かさず飲んでるのでなにがしかの効果は期待していい気もする。いずれにせよ二重あごが消えたら割にすごくうれしい。健康一辺倒というのもなんか味気ないしね。
 今日はこの前バイト中に過呼吸を起こして救急搬送されたサコちゃんがシフトに入った。顔色もよかったし元気そうだしよく笑ってたし安心した。バイト辞めちゃうかもと思ってたけどこの分なら大丈夫そうだ。夕方からは久々に塾で授業。誰かに何かを教えるのってとても好きだ。特にそれでお金がもらえるような場合は。

「11ぴきのねこ」グッズについて。

 前にも書いたかも知れないけど「11ぴきのねこ」を初めて読んだのは四歳か五歳の頃でそれ以来半世紀以上のファンだ。アイルトン・セナより坂本龍一よりヒョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーより村上春樹よりずっと前からファンだ。同じ頃からのファンなのは「サンダーバード」くらいかな。小学校に上がる前何かの懸賞に応募したのが当たってサンダーバード1号のずっしり重いダイキャストモデルが送られて来たのをかすかに覚えている。すごくうれしかった。のを覚えている。あの頃はいつも母親と二人だけだったなあ。いやそれは今回とは別の話題なのでいつか触れられたら触れたい。サンダーバード五号のプラモの話とかね。これも割にいい話なんだ。
 それで「11ぴきのねこ」なんだけどいろいろなグッズが今もつくられてて僕も気に入れば買ったりする。でも絵本にないシーンをモチーフにしたグッズはさめるので買わない。馬場先生は「11ぴきのねこ」について絵本とは違うシーンを結構描かれてるみたいだ。それはお仕事なのでもちろん僕らが文句を言えた義理ではない。でもね。「11ぴきのねこ」読者の皆さまに問いたい。絵本のシーン以外に先生が描かれたねこたちってなんか違いませんか?絵本の中では絵本のドラマツルギーに素直に従ってたねこたちが二次使用ではすごい勝手な表情を浮かべるねこたちに豹変してる。物語を飛び出したねこたちだ。個人的な感想を言うとこれら飛び出したねこたちがあまり好きではない。だから買わない。そんなのかんけーねーよアイコンとして優れてるんだからアレンジして使い倒すんだよというならそれは僕の「11ぴきのねこ」じゃないんで尚更買わない。「11ぴきのねこ」は何よりも物語なのだ。物語を逸脱して単なるアイコンと化した彼らはオールドファンの自分とは関係ない。
 今日のスイムは23分41秒で千メートルと記録更新。のびしろはまだあるみたいだ。

いい日だったような気がする。

 池袋のカフェヴェローチェでまた朝食を食べようと家人と出かけた。お店のモーニングセットにはAからCのセットがあってその他にもサンドウィッチとか選べる。僕はツナマヨプラスチーズのホットサンドとドリンクが選べるAセットを毎回頼んでて家人が「今日もA?」と言うのでメロディーには乗せずに朗読みたいな感じで「じれったいじれったいいくつに見えてもあたし誰でも」と返すとひとしきり笑った後で家人が「セットA?」と尋ねるので「いやまんま今日もA」と答える。・・・ええと僕は割にこういう感じで冗談を言います。教養がないとついて来られません。すいません。わ~た~し~きょうもええ~。
 朝食後はサンシャインシティーのグラニフに行ってTシャツを見る。パルコのグラニフいつなくなったんだ?それですごいかわいいのを見つけた。「11ぴきのねこ」の一作目で魚を捕まえるためにいかだで出かけた11ぴきのシーンがモチーフ。これっていちばん初めに出たデザイン(画像をご覧下さい。この猫たちの背景なしの画像がここで言ってるいちばん初めに出たシャツの柄です。)よりかわいくね?それで二枚買ったら十パーセント安くなるということなのでそうしようと思ったら僕のサイズのLが一枚しかない。お店のおねえさんにこのサイズもう一枚ありませんかと問い合わせるとパソコンで調べてくれてもう一枚在庫があるので見て参りますと言うので待ってたら結構時間がかかった。こちらはいくら時間がかかっても構わないけどお店の人はそういう訳にも行かないだろうなあとか思い始めた頃におねえさんが戻って来て見つからないと言う。それで一枚だけ買った。二枚お買い上げで十パーセント割引になりますけど一枚でよろしいですかとはそのおねえさんが言ってくれた言葉だったんだけどまさか同じのもう一枚ありませんかと尋ねられるとは思ってなかったんだろうな。悪いことをしたかも知れない。売る気満々のおねいさんだったし。
 帰宅後はシャワーと飲んで食べて昼寝。昼寝後焼酎が切れる日なので最寄りのまいばすに行こうとしたら家人も行くと言うのでふたりでてくてく歩く。それぞれの買い物をして帰るとバイトまであまり時間がなかったので仕度をして出勤。
 ビート板って皆さんご存じかも知れない。プルブイはどうかな。

 こんなので主に足に挟んで使う。今日おじいさんとふたりのお孫さんといった感じの三人連れがプールに来てておじいさんは立派な体格に水着はほぼブーメランパンツで相当腕に覚えのあるスイマーとお見受けした。お孫さんに熱心に水泳の指導をしている。そのうちビート板を足に挟ませての練習を始めた。ところがプールではビート板を足に挟むことは禁止されている。たぶん足から外れると浮力でビート板が跳ね上がるので危険と見なされてるんだと思う。それで用意されてるプルブイを持って彼らのそばに行き禁止の旨と足に挟むならこれにして欲しい旨を伝えてプルブイを渡した。おじいさんは禁止なの?と幾分不服そうだったけどルールはルールなので従ってもらうしかない。するとしばらくして同じおじいさんからありがとうございますと声をかけられた。これとてもいいですまっすぐ泳げてということでどうやら気に入ってもらえたらしかった。監視員やっててうれしいことというのはそんなにないけどこういう形でお客さんに喜んでもらえたらそれはうれしい。その後新人のバイトさんからさっきのは何を注意してたんですかと尋ねられた。だからビート板を足に挟むのは禁止だからプルブイに替えてもらってたと答えると腑に落ちたみたいにそうなんですかーと言う。こういう新人さんがいるというのもまたうれしいことのひとつだ。自分の納得の行かない行動を先輩がとってたらそれがどういう意味なのかをすぐさま問い合わせる。積極的でとてもいい。自分が無意識に近い形で行ってることを一から十まで対象化して意識に上らせ誰かに教えるというのはとても難しいので(これはほとんどどんな「教える」という行為にも共通した難しさだと思う。)そんな風に向こうから尋ねてもらえるとほんとに助かる。この子はいい監視員にひいてはいい社会人になれると思う。といういろいろをひっくるめていい日だったような気がする。
 今日のスイムは24分56秒で千と自分としては最低ラインと考えてる25分以内をかろうじて達成した。時間をかけてなだらかにでも縮めて行きたい。

今日は何もなし。

 今日のスイムはまた数え間違えて千五十メートルを26分41秒。千メートル時点では25分33秒と昨日より一分半以上遅くなっている。確かにあまりきついと思わなかった。きついときにペースを落とすことはできるけどきつくないからと言ってペースを上げるというのは今のところ難しいみたいだ。だとしても25分を切れなかったのは痛恨。明日はどうなるかな。なんでアップルウォッチしてて泳いだ距離を数え間違えるのかと言うとノンストップで泳いでると時計を確認する暇というのがないからだ。以前は止まって休む度に距離と時間を確認していた。それができない今は結局ふりだしに戻って頭の中で距離を数えている。今日なんてまだ九百五十メートルかも知れないと思いながら一応止まって確認したら千五十メートルだったので百メートル数え間違っている。これは運動ばかりしてると頭が悪くなるから。じゃないとは思うんだけどほんとはよくわからない。ただ確実に言えることは明日からも三日に二回の確率で数え間違えるだろうということだけだ。
 二十九日の月曜はプールは割に混んだものの連休後半の昨日今日はそれほどでもない。遠出しちゃった人が多いのかも知れない。どちらにしてもバイトは楽だ。今日もこれからラスト近くまでバイト。二時間半受付の業務なのでさらに楽できるんじゃないかと思っている。

久々にラストまでバイト。

 人が足りないということで久々にラストまでバイトを入れる。帰宅して入浴して一杯飲み始めた今は例によって午後十一時過ぎ。何かまとまった文章を書くということはもうできない気がする。午前中は十一時半までバイトして帰宅してから家人と買い物に行ってもう一度帰宅してからシャワーを浴びて一杯飲んで昼食と昼寝。起きてから用があって駅前にひとりで行くと障がい者雇用枠で来てるねひちゃんが仕事を終えたのか歩いてくるのでお疲れ様と声をかけると今日大変なことになっちゃったんですようと彼女の発言の前にはほぼ必ずつく枕詞を口にする。何が大変だったのと尋ねると救急搬送された人がいると言う。お客さん?と尋ねると監視員と言うのでえっ誰と尋ねるとサコちゃんだと言う。なんでもプールサイドで急に倒れ救急車を呼んだら過呼吸ということだったそうだ。午前中一緒のシフトで元気よさそうに見えただけにこれにはびっくりした。人手が足りないと困るかなと思って予定より三十分前にバイトに入るものの人員は充分足りていて仕事に支障は出なかった。でももしかしたらサコちゃん辞めちゃうかも知れないな。すごく繊細な子だしね。力になってあげたいけどラインとかしていいのか判断に苦しむところだ。たぶんしない方がいいんじゃないかと現状思っている。
 今日のスイムは23分57秒で千。初めて24分を切った。途中すごくきつくて四百メートル過ぎた辺りでこのペースでは千は泳げないと思ったのでさすがに意識してペースを落とし少し楽になって千まで耐えた。つもりなんだけどアップルウォッチでラップを見るとそれほどペースをゆるめた形跡がない。よくわからない。でもまあ23分台に入ったのは自分でもびっくり。タイムを縮めるのか楽しく泳ぐのか今後難しい決断を迫られると思う。

充電の嵐。

 このパソコン買ったの何年前だったっけ?よく覚えてないけど二、三年前だった気がする。時々マウスカーソルが細かくフリーズするので最初すごく気になったけどそのうちに慣れた。あとソフトが立ち上がるのが異様に遅い気がする。エクセルのファイルをクリックしても立ち上がるまでに数秒かかる。若い頃と違ってそういうのをいちいち気にするのも面倒なのでやりたいようにやらせておく。でもまだある。メモリを圧迫されでもするのかただのエディターへの入力がすごく遅くなるときがある。十文字くらい入力しても何も反映されないで数秒してからタタタタっと文字列が表示される。要するにこのパソコンを使うのには結構な我慢を強いられてるということになると思う。おまけに充電が保たなくなって来た。体感で言うと買った頃の半分くらいの時間でバッテリー切れになる。もちろんどんなノートパソコンだっていつかはバッテリーが保たなくなる。あるいはどんなスマホも同じだ。ただし愛用してるタグ・ホイヤーの電池は数年単位で保ち続けている。さすがスイスウォッチということかも知れない。それに比べるとアップルウォッチのバッテリーはまー保たない。いろんなことを四六時中モニターさせてたりアイフォンとバックグラウンドで通信させてたりするので仕方ないのかも知れないけどそれにしてもちょっとひどいんじゃないかと思う。という訳でパソコンとアイフォンとアップルウォッチの充電の嵐にこのところずっと巻き込まれている。アイフォンは自宅にも塾にも充電器を置いてるのでまあまあ便利なんだけどパソコンの充電器はいつだったか壊れてしまって今はうちにある家人のものを一緒に使わせてもらってる。だからたまに塾でパソコンの作業をしようとしてバッテリーがなくて断念するなんてこともある。アップルウォッチは純正の充電器をうちに置いて使っている。塾用にとあるチェーン店で千円の充電器を買ったら何時間経ってもほとんど充電しなくてただ本体と充電器が発熱しただけだった。今日は塾に出かけようとするちょっと前にアップルウォッチからメッセージが来て充電が十パーセントを切ったということだったので充電器ごと塾へ運んで充電した。幸いなことに充電時間はアイフォンに比べても格段に短くて済む。でもまああれば便利なので塾用に純正の充電器を買うかどうか迷っている。
 と書いて来てひとつ触れておきたいことを思い出した。それはアップルウォッチにはある種の拘束性があるということだ。睡眠の質や時間をモニターしてくれるので寝るときもつけている。まずこれが考えてみるとちょっとおかしい。腕時計をつけて寝てる人ってどれだけいるんだろうか。それから消費カロリーやエクササイズの時間を記録してくれる他に一時間に一分以上立ち歩いたときにつく「スタンド」というモニター項目があってデフォルトではこれを十二時間分記録させると一日の目標を達成することになってる。これを達成させるのが日によってはなかなか難しい。まずプールサイドでは時計はつけられない(人命救助の妨げになるものは一切身につけられない)ので受付に回されるのでもない限りバイト中はモニターができない。授業の最中はモニターできるけどそれも一日にせいぜい六時間なのであと六時間分をどこで稼ぐかは結構頭の痛いところだ。だからバイト中監視員の詰め所で休んでていいときに更衣室まで歩いて行ってロッカーを開けアップルウォッチを取り出して腕につけ用もないのにその辺をうろうろ歩き回ったりしている。このときはさすがに我ながら不自然な行動だと感じるし拘束されてるってことなんだろうなと思う。でもじゃあどうすればいいかは今のところ決めかねている。そのうちに「スタンド」達成にも飽きて自分にとって唯一必要な機能であるスイムのモニターだけ使うようになるかも知れない。それが自然だと思う。早くそうなればいい。
 そのスイムは今日千メートルを24分04秒と最速記録。初めて25分を切って十日足らずで24分が切れそうなところまで来た。でもきついと言えば相当きつかった。体の刻むリズムに黙って耐えてるだけだ。ただこの前まではきついなと思ったら意識してペースダウンを心がけたけど今は最後までつき合うことができている。それだけ鍛えられてきたんだとすれば素直にうれしい。

イモラ・サーキットのタンブレロ・コーナー。

 ちょうど三十年前のことだ。F1サンマリノグランプリ。アイルトン・セナの駆るウィリアムズ・ルノーのマシンは突然コースアウトしたかと思うとその先にある壁に激突した。コースアウトから激突までに彼はマシンをかなり減速させていたと伝えられるが自分の命を守り切るには充分ではなかった。そうしてセナは亡くなってしまった。以来F1の中継は観ていない。いつからかF1を観るよりセナを観ることの方が僕にとってはるかに重要になっていたということだ。セナの走らないレースなんか観ても仕方ない。
 セナの命日なんだなと何度も思いながら今日一日を過ごした。書いたことがなかったと思うけど塾を始めたのがセナの命日である五月一日だったのはまったくの成り行きだった。塾だから新学期である四月に始めたいと思っていたのが失業給付の問題(不正受給と見なされるとすごく面倒なことになる。)とか賃貸物件の契約の問題とかがクリアできず五月にずれ込んだだけの話だった。でもそうやってやっと漕ぎ着けた創業日がたまたま五月一日になったことでこの仕事はもしかしたらうまく行くんじゃないかと思った。セナに見守られてるような気がしたから。と書いて来るといささか神がかってて自分でも引く。大体こちらはセナを知ってるけどセナはこちらのことなんか知らない。知ってるはずがない。なのに見守るもへったくれもある訳がない。でも当時はそんなものにでもすがりつきたい一心だった。これがうまく行かなかったらあとは尻尾を巻いて実家に逃げ帰るしか選択肢がなかった。子供はまだ小学生だったし家人は小説なんてまだ一行も書いてなかった。手許にあるのは愛だけで未来にあるのは不安だけだった。でもそれから今日で丸十一年が経った。その間母親に二百万弱借金したけど(という段階でアウトな気もするけど)それを除けばまあまあ暮らして行けてる。今でも不安であることには変わりない。でも常に不安であることは不安への耐性を育む。なんとかなってるならそれ以上心配したところでそれは取り越し苦労というものだ。そうだよね?親愛なるセナ。
 今日のスイムは千メートルを24分50秒と辛くも25分を切った。切るのはこれで三日連続かな?泳ぐペースは体まかせで今日も軽めにきつかった。でも自分を甘やかさない姿勢には僕も賛同したい。今日はバイト中しーちゃんとふたりきりの仕事というのがあってちょっとうれしかった。授業もこう言ってはなんだがとてもうまく行ってる。十二年目も願わくば平穏で幸せでありますように。

地獄の季節がやって来た。

 昨日も予告した通りアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。ついでに言うとジョン・ランボーともより一層関係ない。と思う。ジョン・ランボーの愛読書が「地獄の季節」ということが絶対にないとは言い切れないけど。
 僕らプール監視員にとっての地獄の季節とはゴールデンウィークから寒くなるまでのおよそどれくらい?温暖化を踏まえるとほとんど半年と言っていいのかな。くらいの間ということになる。要するに暑くなるとプールは混み合う。常連さんばかりなら皆さんルールをわきまえているので安心なんだけどたまにしか来ない―あるいは初めて来る―親子連れとか小中学生のグループなんかが殺到した日にゃルールは知らねえし子供は言うことなんか聞かねえしで結構容易に混沌が訪れる。具体的に数字を挙げると冬場なら一日の利用者数が百五十人を切る日もあるのに真夏になると去年の実績で言って九百人を越える日がある。およそ六倍の来場者数だ。一昨年はそこまで混まなかったんだけど去年はなんかもう新型コロナはなかったことにしようみたいな圧力もあったし矢吹丈のノーガード戦法みたいにノーガードで有象無象がプールに殺到したんだろう。言うまでもなく昨夏も新型コロナ・ウィルスはそこそこ猛威だったし家人も子供も僕も罹患したしすごく大変な目に遭った。そういうのを「ないことにする」ってすごく恐いことだと思う。多数決で病原がなくなるなら僕だって喜んで千票くらい入れるけどそれでその千票がなかったことにされたって病原がなくなる訳じゃない。そんなん当たり前じゃん。でもその当たり前のことを忘れちゃってる人が割に多い気がする。科学について言えば正しいことを教えてくれるのは科学の専門家だけであってマスコミとか同調圧力とかじゃないんだぜと思う。だから皆さんもっと慎重にね。と思う。なかったことにしてもあるものはあるのだ。
 追記。
 今日のスイムは24分42秒で千と25分を切っている。ペース的にはややきついながら体がそのペースを選ぶんならついて行くしかない。

この人には好意を持たれてるなと感じることがある。

 たいていの人とはまあまあうまくやってるんじゃないかと思う。もともと誰ともあまり深いつきあいというのを望まないのでつかず離れずという距離感になるけどそれで構わないなら割に誰とでも良好な――とまでは行かないかも知れないにせよそれほどぎくしゃくはしてない関係を築けるような気がする。たまにすごく嫌われることが若い頃からあったし実は今もあるけど例外と言っていいくらいの頻度だと思う。なぜ嫌われるかはよくわからない。特にわかりたいとも思わない。逆によくわからない好意を抱かれることもある。これも頻度としては嫌われるのと同じくらいじゃないかと思う。大したやりとりをした訳でもないのにこちらに対する好意が伝わってくる人というのがいる。自己評価が低いので何かの思い違いだろオレなんかに好意を持つ訳ないだろと何度か否定してもどうもそうじゃないみたいだと判ぜざるを得ないことがある。これも理由はよくわからない。でも嫌われてる場合と違ってできればその理由がわかるといいなと思ったりする。
 バイト先の別部署にいる女の子がそれで名前をつけておく。ヤカさんでいいかな。別にそれまで親しかった訳でも何でもないのにあるとき業務上のトラブルを偶然一緒に解決したことがありそのときにすごくフランクに話してくれる人だなという印象となんだか心の距離が近いなという印象を受けた。その後も会えば挨拶を交わしててこの前久しぶりに見かけたのでお久しぶりですねと声をかけるとわざわざこちらまでやって来てくれてしばし言葉を交わした。そのときも何かがすごく近い気がした。今日も久しぶりに会ったら向こうからお久しぶりですと声をかけてくれる。でもシフト結構入ってるんですよね僕と時間帯が合わないだけなんですよねと尋ねるとそうだと言う。お互いに対して今日はシフトに入ってないのかなとそれとなく目で探してるような連帯感があってちょっとだけ心が温かくなった。それが出勤の時の話でたまたま退勤の時刻も一緒だったので着替えながら更衣室のカーテン越しにちょっと立ち入った質問をしてみた。その部署の女の子は学生さんが大多数なんだけどヤカさんは彼女らに比べて明らかに落ち着いてるしこう言ってよければ度胸のよさみたいなものも持ってる。それでヤカさんは学生さんじゃないんですよねと尋ねた。すると大学院の博士課程に籍を置いてると言う。もう三十過ぎてるし他の学生のピチピチしたのと一緒にされても困るんですけど。なるほど。当たらずと言えども遠からずと思って何を専攻されてるんですかと尋ねると難しいなと言うのでいやじゃあそれなら尋ねません。どちらにしても立ち入ったことなのでと返すと僕は知識がないのでよくわかんなかったんだけどある条件下で消費者がどういった消費行動をとるかというのをシミュレートしたりとかそういうことらしい。他にもバイトを掛け持ちしてることとかもうひとつの会社の方が時給がいいのでこっちには来なくてもほんとは構わないこととか(じゃあわざわざいらしてるのはこっちの仕事がお好きだからですかと尋ねるとまあそうかも知れませんということだった。)今まで聞いたことのないことをいろいろ聞けた。ここで僕が何より重要だと思ってるのは彼女は僕のどの質問に対しても「お前の知ったことじゃない。」と言い放つ権利を持ってたということだ。実際自分でも随分プライベートなことに立ち入ってるなと思ってたしどこかで拒絶されても仕方ないかなと思っていた。ただこれまでに彼女から受けた印象からある程度は受け容れてもらえる気がしたしその感触は信じていいように思えた。それを頼りに少しずつ近づいて行ったということだ。そして彼女は最後まで受け容れてくれた。今日みたいに長い時間彼女と話す機会はこの先もうないかも知れない。それくらい彼女と僕には接点というものがない。でももしもまた話す機会があったなら今回よりももう少し遠慮なく彼女の懐に入って行きたいし彼女がそれを望むなら僕のことを洗いざらい話してもいいとも思う。ぶっちゃけそういう関係ってなんなんだろうね。これ以上仲良くなっても何も生まれないし何も残らない。でもお互いもうちょっと仲良くなれたらうれしいなと思っている。と思う。いや単におじ(い)さんをあんまりからかわないで欲しいって話で終わるのかな。そうじゃないといいけど。
 誰も待ってないお待ちかね!今日のスイムは24分42秒で千。久々に25分を切った。泳ぎ始めてすぐにこのペースじゃきついなと思ったんだけど前にもそういうことがあったようにペースを決めるのは僕じゃなくて僕の体なので体がそのペースを選ぶのなら僕としては従わざるを得ない。三百でも五百でも今日のペースはきついと思いそうなるとずっときつくてやっと千メートルと思ってアップルウォッチを止めると九百五十メートル。あわててあと五十泳いで千にする。それでも25分を切ってたので調子はよかったんだろう。
 あと「地獄の季節」について書きたかったんだけど力尽く。読者にファンがいるようなので付記しとくとアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。すいません。

ぜいたくな昼食。

 午前中バイトがなかったのでゆっくり泳ぐ。千メートルを25分31秒。気がつくといつも千五十メートル泳いでるので五十メートル減らした自分的には九百五十メートルのところでアップルウォッチを止めたら額面通り九百五十しか泳いでなくてあわててウォッチをオンにして足りない五十メートルを泳いだ。帰宅後シャワーを浴びてプロテインを飲んで出かける。ちょっと前にお寿司食べたいよねということで家人と話がまとまりスーパーで折り詰めのお寿司を買ってきたりしてうまいうまいと言いながら食べた。今日はスーパーじゃなくてお寿司の専門店(て言うかテイクアウト専門のお安いお店)でお互い好きなネタばかりを三つ買った。駅前まで戻って夕飯の仕度なんかも買って帰宅。お昼の一杯のアテがお寿司ってぜいたくだ。すごくおいしかった。たまにはぜいたくな昼食。たまにはね。

頼られることについて。

 これは今日あるブロガーさんのエントリを読んで書いてみようかなと思ったテーマだ。その方はコメントをご希望になってるんだけどコメント欄に書くほど適切な内容になるか自信がないので自分のブログに書き留めておく次第。
 頼られることについて。僕はちょっと前にも触れたように自己否定と言うかもう少し自分の実感に沿った言い方をすると自己解体(ATOKは「事故買いたい」と変換した。MS-IMEよりは信頼してるけど時々何を考えてるのかわからないことがある。)みたいなものをライフワークにしてる(つもり)なので当然自己評価はそんなに高くない。だから誰かと話してても自分のつまらない話で相手を退屈させていたり迷惑に思わせていたりしたらどうしようと割にしょっちゅう思っている。だからバイト先のそう親しくない顔なじみくらいのお客さんに話しかけられてもできる限り短めに話を切り上げるようにしている。そしてその後あの人はもうちょっと話を続けたかったのかも知れないなと感じたりする。そうできなかったことについてちょっとだけ胸が痛む。でもそれが自分という人間のあり方なんだから仕方ないよなと開き直る。特に今のバイトを始めてからはそういうことがとても多くなった。これはよく考えるとまあまあストレスになっていて人間関係からの撤退路線にさらに拍車をかけてるとも言える。でも学生さんのバイトの中にはかなりシリアスな話をたまたまふたりきりの時とかあるいはラインとかで打ち明けてくれる人もいる。人間関係のこととか将来のこととかあるいは自分の抱えてるちょっとした問題とかについて。そういうときはすごく親身になって話を聞いてる気がする。もちろん彼らの顔が自分の子供の顔に重なるからでもある。でも彼らより随分長い道のりを歩んできた者として自分が彼らの年くらいに年長の人に尋ねてみたかったことや尋ねたんだけど納得の行く答えをもらえなかったことに対して自分なりにきちんと答えてあげたいという思いも大きい。要するに年寄りは頼られたらうれしい。たぶんそれはかなり普遍的なんじゃないかと思う。ただしそれと友だちになることは別なんじゃないかという気がする。と書いてきて思うのは友だちってなんだ?ということだ。僕はそういう学生さんたちとは明らかに友だちではない。飲みに行こうと誘われることもないし誘われても行かない。だから六十代が自分より相当若い人と友だちになれるかと言うと僕に限って言えば難しいという結論になる。でもとても個人的な結論なので参考になるかどうかはわからない。だからあとはご自分で決めて欲しい。すいません。
 追記。
 この日のスイムは27分01秒でまたも千五十メートル。最後の五十メートルが1分12秒だったので千メートル時点で25分49秒。何がいけないのか全然わからないけど25分が切れない。でも千メートルノンストップで泳ぎ続けられているのでよしとする。

ひざが痛い。

 前にも書いたかも知れないけど特に思い当たる理由もないのにひざが痛むことがある。これはつい数年前から始まったことでそれまでにも確かに時々ひざが痛むことがあったけどたいていの場合は重いものを運んだ(前職ではそういうケースがよくあった。)とか要するにはっきりと物理的な理由を見つけることができた。今はそういう理由がなくても痛むことがある。それもほっとくと歩くのに支障が出るくらいひどくなってしまう。地球温暖化とか気候変動とかそういう理由に拠るんでなければこれはもう老化のせいにするしかないんじゃないかと思っている。今も左ひざがひどく痛んでいるんだけど手術した方ではないので古傷という訳でもない。午前中多少無理してバイトに入ったのもよくなかったのかも知れない。先ほど痛み止めを飲んだので効いてくれるといいなと思いながら時が過ぎるのを待っている。
 今日のスイムはまた数え間違えて26分45秒で千五十メートル。最後の五十メートルは1分11秒だったので千メートルの時点では25分34秒。昨日よりはよかった。また五十メートル当たり1秒削るのが課題だ。ただ昨日も書いたようにここのところ泳ぐこと自体が楽しくなって来たのでその楽しみを損なわない程度にがんばれればいいやという気もする。

それだけで随分楽。

 今日のバイトはシフト係のしーちゃんがグループラインで募集してたのに応える形で希望よりも三十分だけ長く入ったら一時間受付の業務に回してもらえた。三時間の勤務のうち一時間受付だとそれだけで随分楽だ。シフト係はふたりいてひとりはしーちゃんでもうひとりは従来「若造」と呼んできた男の子。この若造に任せておくと受付の仕事なんかまあ回って来ない。でもしーちゃんはすごく頻繁に受付に回してくれる。これは以前からそうだったので彼女と仲直り(という言葉がいちばん近いと思う。)できてよかったと思っている。
 スイムは千メートルに26分09秒もかかってしまった。昨日より一分以上も遅くてまあ野良スイマーだからそれほどタイムが安定しないのも無理からぬことかも知れないけど本人なりにはいささかがっかりしている。五十メートル当たり昨日より一秒以上遅れている。理由はよくわからない。疲れてるんじゃないのと家人は言うけどこれまでだって結構疲れてたのにタイムは伸びてきた。明日は今日のタイムから一分以上も縮めなければならないのかと思うとかなりうんざりする。でもまあ明日も泳ぐ。最近それほどつらくないので泳ぐのが楽しみになって来ている。
 一時72キロに近かった体重がここ数日70キロを切っている。体重が増えるのは基本的にあまり歓迎すべき事態ではないと考えている。持病もあるしね。あと一ヶ月ちょいでまた検査なのでなんとか今の状態をキープして臨みたい。腹持ちがいいと思ってたプロテインが最近は飲んでもあまり腹の足しにならない。だからしょっちゅうおなかが空いている。もともとそれほど量を食べる方ではないし間食もしないので体重を増やす要素も多くない。もしも筋肉量が増えての体重増加ならばそれはもちろん望ましい。でも体の変化というのもそう顕著には現れてなくて相変わらずおなかに脂肪はついてるしあごも二重あごだ。でもひざの上に少しだけ筋肉のかたまりが現れたのと二の腕から手首の辺りにかけてひと筋青い筋が浮くようになったのはうれしく思いながら見ている。父親の手の甲が筋張ってるのを子供心にかっこいいと思っていた。ずっとぽっちゃり型だった自分の手の甲にはなかなか筋が現れず大人になって現れても父親のような美しい曲線は描かれなかった。今でも誰かの手の甲に青筋が立ってるのを見ると反射的に美しいと感じるし自分の手の甲にはコンプレックスを抱き続けている。だから自分の体に少しでも青い筋が増えたらそれは慶賀すべきことだ。と書いてきて思い当たるのは僕は自分で思うよりずっと父親のことが好きだったのかも知れないということだ。思いつくままに青筋について書いて来たけどそれは父親への思いに端を発してるのかも知れない。考えても考えても考えても自分の心というのはよくわからない。酒中に真ありという言葉通り酔っ払って普段思いつかないようなことを思いついたとき思いがけず自分の中の「真」に気づく。ということなのかも知れない。青筋へのあこがれがそのまま父親へのあこがれ(か、その残滓)だったとしたら天国にいる(かも知れない)父親は確かに喜んでくれることだろう。僕が父親なら子供がこんなことを書いてくれたら間違いなくうれしいだろうから。