指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

バイオハザードな宿、その3。

また続き。ブロックAの廊下が絨毯敷きなのに対して階段を数段下りた先に続くブロックBの廊下は、ほとんどコンクリートの打ちっ放しだ。あるいはかつてはそこにも絨毯が敷いてあったのを今はきれいに剥がしてあるのかも知れない。スリッパの裏側にざらざらした感触が伝わってくる。そしてぼんやりと暗い。天井には蛍光灯が設けてあるがひとつも点灯していない。昨日も書いた通り、遙か向こうに非常階段を示す緑色の明かりがあるだけだ。右手には客室のドアが続く。左手には等間隔に大きな窓があるが、すべてカーテンで覆われている。客室のドアを十前後やり過ごすと、先ほど遠く見えた緑色の明かりの下に出る。正面には5、6段の上り階段があるが、ビニール張りのスツールがふたつ投げ出されたように置いてあり、その先はドアになっている。右手もスツールこそないものの同じような上り階段とドアだ。左手には吹き抜けになった階段があり、こちらはそれぞれ階上と階下へ抜けられるようになっている。そしてこの左手の吹き抜けの階段脇には、工事中につき使用できない、という旨の張り紙をしたエレベーターが一機あり、その前に足の長い古い灰皿が一本立っている。灰皿には古そうな吸い殻と、握りつぶされた煙草のパッケージがひとつ載っている。そしてこの階段だけは壁の照明で淡く照らし出されていて、白が退色して茶色がかった漆喰の様子が見て取れる。そこで煙草を吸う勇気はなかった。暖房がまったく入っていないこともあってすでに背筋がぞくぞくと寒くなっていたからだ。背中から地縛霊のようなものに覆い被さられるイメージが繰り返し沸き上がってくる。帰ろうとしてBの廊下に戻ると、木の柵でふさがれた通路があるのに気づいた。柵のすき間からのぞき込むと、幅1メートルほどのひどく細い階段が上に伸びていて、その先は窓になっているのか夜空のうっすらした明かりが透けて見える。これはいったい何の階段だ?早足で廊下を歩き抜け、一度も振り返らずに部屋に戻った。
でも別にいやな夢にうなされることも何かの影が見えることもなくその晩もぐっすり眠れた。やはり霊感みたいなのはないようだ。考えてみるとバイオハザードの恐怖とは霊とかゾンビとかの恐怖かと言うと、微妙に違う気がする。それはかつて人が集まりにぎわっていたに違いない場所が、廃墟のように見捨てられていることの恐怖だ。ひび割れた漆喰を照らす照明や、決して開くことのないドアや、いつ捨てられたとも知れない煙草のパッケージや、今はもう誰も通ることのない細い階段などが、そのたたずまいだけですでに恐怖なのだ。