指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

地下鉄の人身事故に居合わせる(書き直し)。

何年か前にも一度、丸の内線のお茶の水駅で乗っていた電車が人身事故を起こした。「人身事故を起こした」という言い方はともすると電車側だけに問題があったようにしか受け取れないが、意図して電車の前に飛び降りる人がいた場合、それを「人身事故」で片づけるのは鉄道関係者側に対して気の毒のような気がする。ひとたび事故が起きれば、それがどんな性質のものであっても後処理や遅延に関して責任を取らなければならないのは鉄道関係者なのだ。意図して飛び降りる人の存在は予測できないし、予測できないことの責任を誰かに押しつけることは難しい気がする。
今日同じ丸ノ内線霞ヶ関駅で、乗っていた電車がおそらく人を轢いた。午後三時半前後のことだ。僕は先頭から二両目に乗っていた。霞ヶ関のホームに入ったなと思った途端、がくんがくんとふたつ、何か小さいものを乗り越えた感じの衝撃があった。それから電車は急停車し、耳障りなクラクションを三度続けて鳴らした。二、三両目までしかホームに入っていず、それよりうしろの車両はまだ闇から抜け出ていなかった。電車内の照明が消えてところどころ非常灯だけがつき、車掌のアナウンスがあった。車掌のアナウンスは逼迫していてしかも状況を把握し切れていなかった。乗客はほぼいっせいにケータイで話し始めたりメールを打ち始めたりし出した。車掌は外へ出ないようにと繰り返しアナウンスしたが、ドアが開かないのだから窓をくぐり抜けでもしない限り外へは出られるはずもなかった。すぐにホームから人を呼ぶ声が聞こえてきた。電車の下に巻き込まれた恐れのある人に安否を尋ねる怒鳴り声だ。声は僕たちの乗った二両目を行ったり来たりした。どうやらほぼ真下にその人はいるようだったが、僕の判断では生きているとは思えなかった。
数分後アナウンスがあって一両目のドアを一箇所だけ開けたので、そこから外に出て欲しいということだった。復旧まで車内に閉じこめられるかと思ったが、その措置で車外に思いの外早く出られた。それから電車を乗り継ぎ、遠回りして目的地に着いた。背中に何かを背負っている感じがつきまとった。
自殺を否定する言葉が持てるのか、特に自分自身の子供に対して、と考える。そしてとりあえず僕にはその言葉がある。でもそれは普遍的ではない。自殺を回避させる普遍的な言葉は、まだ見つかっていないように思われる。