指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ライ麦とカラマーゾフ。

この前読んだ加藤典洋さんの「小説の未来」所収の評論に「ライ麦・・・」は「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしているのではないかという指摘が、確か、あった。つかこういうときに手元に本がないというのが図書館で借りることの残念なところだ。何か兄弟の構成が似ているとかそんな指摘だったと思う。
とするとホールデンの言うライ麦畑のキャッチャーは、もしかしたらイヴァン・カラマーゾフの主張のひとつから生まれたのかも知れない、というのが言いたいことだ。イヴァンはもし仮に神が実在したとしても神を許さないと話す。罪のある者を罰するのは神にとって正当なことかも知れないが、神は明らかに罪の無い者をも罰している、それは子供だ。自我のない子供が何をしたとしてもそれを罪と呼ぶことはできない、その子供を罰するのは神の落ち度だ、だから自分は神を許さない。
イヴァンの言い分は子供の安易な神聖化と言うよりは神へ突っかかるための言いがかりみたいなものだったように記憶しているが、これは読み返してみないとはっきりしない。ここからライ麦畑のキャッチャーまでどれほどの距離があるかは即断できないが、両者には確かに類縁性があるように思われる。それが不確かな記憶を元にした不確かな結論だ。何度も言うがこの点ならホールデン君に共感するし、イヴァンも悪い奴じゃないよなと思える。まあイヴァンはちょっと過剰なほどいい奴とも言えるんだけど。