指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

卒園式。

疲労が限界まで来たなと思ったのが水曜日のことだった。この日は夕方から始まったイベントの手伝いが午後9時までかかり、帰宅は10時前でそれでなくても疲れのたまっていた腕も足も膝も腰もひどく痛んだ。翌朝も休日返上で午前9時半からイベントの手伝いをした。寝る前に熱っぽいなと思ったら昨日の朝は寒気と共に目が覚めて、測ると38度7分あった。ひどい寒気でとにかく体中が痛い。卒園式の日だったが早々に諦めてベッドに戻った。どれくらいの長さか知らないが式の間椅子に腰掛けていることなんてとてもできそうになかった。それどころか家の外に出ることすらできそうになかった。しみ通るような痛みが気力を奪った。
それでうとうとしている間に、この痛みさえ少しでも和らげば何とかなるんじゃないかと思い返した。何しろ子供の一度しかない卒園式なのだ。ふらふらと起き出して行き家人に朝の忙しい時間にも関わらずマッサージを頼んだ。腰を押してもらうと場所によっては飛び上がるほど痛んだが、五分もするととりあえず最悪の状態からは抜け出せたような気がした。用意してもらった朝食を無理矢理にとり、最近風邪を引いたときに医者でもらった薬のあまりを飲んでじっとしていた。支度の隙にまた腰を押してもらった。小一時間経つと少なくとも今日一日を何とか見通せる程度には気力が戻った。熱を測ると37度台まで下がった。行けそうだ。
それで子供の着替えを手伝っているうち幼稚園へ行くために子供の着替えを手伝うのもこれが最後だということが強く意識されて来てぽたぽたと涙が落ちた。もちろん幼稚園へ行く前から着替えを手伝って来たし小学校へ入ったって手伝うことはできる。でも園の指定の服を羽織らせて終わるこの着替えはこれで最後なのだ。そのどこが悲しいのか突き詰めるとよくわからない気もする。でもひたすらに悲しかった。書いている今でも鼻の奥が痛くなる。
このままでは卒園式の間中しゃくり上げかねずそれはさすがにみっともないので、今日一日は世界の有り様をできる限り散文的な方に引き寄せて解釈することに決めた。雨が降っていたし僕の熱もあったので途中までタクシーを使ったのも功を奏した。幼稚園へ歩いて送って行く最後の機会を逃した訳だが、世界の散文化には役だった。
式は参加してみると割と演出過剰で逆に涙を誘われなかった。もちろんそんな風に考えるひねくれ者は少数派なので、お母さん方を中心にずっと泣き通しの方もいた。子供がいちばんなついている先生が感極まって泣かれたときにはつられそうになったが耐えた。園を出て帰途についたときに初めて子供が泣いた。子供なりに悲しみを受け止めた瞬間でその心中を察するにあまりあったがそこも耐えた。
今日も休日出勤で同じイベントの手伝いだった。朝から行って午後2時前に帰って来た。体調は悪くなかった。夕方洗濯物を取り込みにベランダに出たとき子供とふたりで園まで歩いて行くイメージが突然、見たことのない俯瞰図で浮かんだ。それはすごく楽しそうな光景だった。とても美しい時間だった。でも僕らがそこに含まれることはもう二度と無いのだ。しばらくの間ベランダにしゃがみ込んでいるしかなかった。