指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ほんとに、素直な、小説。

沖で待つ

沖で待つ

「顰蹙文学カフェ」の中で高橋源一郎さんは、阿部和重さんの「グランド・フィナーレ」についてどちらかと言えば低い評価しかしていない。それを読んで、芥川賞受賞作というのは決して受賞者のそれまでの最高作に与えられるとは限らないということに気づかされた。いや、いくら僕が文学がわからないと言っても、薄々そう思っていなかった訳でもない。デビュー作が芥川賞受賞みたいな例は別にして、ある程度キャリアを積んでの受賞の場合、もしかしたらそれより前に書かれた作品の方がいいんじゃないかと思われることがある。あるいは受賞自体がちょっとどうかなという作品もある。賞の存在異議が問われかねない賞もある気もするけど、それは芥川賞のことではないので今は措く。
もう偏見丸出しで言うと、芥川賞受賞作にはどこかにわからない感じ、すごく遠くから声が響いて来る感じがあった。でも「沖で待つ」にはそれがなかった。そのことにすごく戸惑ったことになると思う。
沖で待つ」は本当に素直にまっすぐに書かれた作品のような気がする。すでに絲山さんのキャリアをおぼろげながら知っている身からすると半分は私小説ではないかと思われるほどだ。もちろん異様な話と言えば言えるけど、これくらいの異様さは誰もが日常の中に隠し持っている。そういうことを暴露する小説にことさらに驚いてみせるほど選考委員もうぶではない。では何がこの作品の核なのか。今すぐにそれを言うことができない。ちょっと考えたい。
でも、僕は今まで読んだどんな芥川賞受賞作品よりこの「沖で待つ」が好きだ。中上健次さんの「岬」より、綿谷りささんの「蹴りたい背中」より、諏訪さんの「アサッテの人」と比べてさえ「沖で待つ」の方が好きだ。そこには誰も描かなかった安定感のようなものがある。それは確実にある。僕にそう思えるだけだったとしても、それは厳然とある。