指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

原因。その2

それはゲームキューブ版の「おいでよ どうぶつの森」だ。いつ頃からこのソフトを子供がやるようになったのかはっきりとは憶えていないが、幼稚園に入る前後じゃなかったかと思う。要するにゲームの中の村に住んで様々なキャラクターたちと交流しながらアイテムを集めて行くゲームだ。家人も僕もこれをやっていたが、あるとき子供がひどく興味を示したのでやらせた。
子供にとっての問題は手にしたアイテムをどうするかということだった。ゲームの趣旨からすると、レアなアイテムは保存しておき、そうでないもののうち自分には不必要だと思ったものは売ればよい。ところが子供は一度手にしたアイテムはどんなものでも手放したがらなかった。アイテムを格納できるスペースは限られているので集めているばかりで売ったり捨てたりしなければいつかはアイテムがあふれ出してしまう。そして実際子供はアイテムを村中にあふれ出させた。海辺にも川沿いにも他の住民の家の回りにも店や郵便局の回りにも、子供が持て余したアイテムのアイコンがぎっしりと並んだ。何かアイテムを手にしてそれが初めて見るものなら、子供は自分の持ちもののひとつをその辺に放り出して新しいのを手に入れる。そういう形で村を埋め尽くすことに関して、ゲーム内ではとりたてて罰則のようなものは無い。
この感じ、何もかもその辺に放り出しておいて構わないというこの感じが、今も子供の記憶や無意識に残っているとすると、片付けなくてもいいんだという子供の姿勢をうまく説明できるような気がする。もし「うまく説明できる」ということに何らかの意味があるとすればの話だけど。
誤解の余地は無いと思うが、だから幼いうちからゲームをやらせるのは危険ですよ、などと言いたいのではない。子供に生じた問題は、よく言われるヴァーチャルとリアルの混同を生むものとしてのゲームという物語と確かに無関係ではない。でもヴァーチャルとリアルの境界線を曖昧にするということなら読書だって映画だってドラマだって同じことだし、私見ではむしろ境界線を曖昧にすればするほど作品としては優れたものになって行く。物語には現実から離脱する方向性が初めから内蔵されているから、物語を浴びる以上現実に対する見方が常に更新され書き換えられて行くのは当たり前のことだ。子供がゲームの中で現実にはあり得ない自由でいい加減な感じを体験し、それを無意識の中に保存しているのならそれは明らかに物語の効用であってそれ自体が問題なのではない。問題はそれでは現実への着地がうまく行かないということだ。では現実にうまく着地させるにはどうしたらいいのか。
それでとりあえずゲームの中の村に散らばったアイテムを全部片付けさせることにした。全部終わるまで他のゲームは一切無し。子供はその地味な作業に初めはかなり難色を示していたが無理に約束させた。それだけで問題が片づくとは思っていないが、そこから始めるしかないような気がする。