指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

うーん。

ねじの回転 (新潮文庫)

ねじの回転 (新潮文庫)

この前酔狂で買った本。そんな機会でもなければ一生読みそうにもなかったので、ここは何かの縁と思ってこだわりを持って読んだ。奥付によると出版は昭和三十七年で僕よりひとつ年上だ。驚いたのは「はまぞう」に出て来たデータで、今もって改訳されてないらしい。などとわざわざ書くのは訳文が一読して古いと感じられるからだ。村上春樹さんが翻訳の耐用年数みたいなことをどこかで確かおっしゃっていたと思うけど、やっぱりちょっとこれは賞味期限切れなんじゃないかと思う。
でも読みづらい原因はそればかりじゃないと思われるのはおそらく原文がかなりまだるっこしい文体で書かれているのではないかと感じられるせいだ。特に時間の流れが直線ではなく、と言っても直線ならいいと言いたい訳ではもちろんないんだけど、小さな渦を巻いているように細かく行きつ戻りつしていて、しかも同じできごとを語っていても遠くから語られるときと近づいて語られるときではそのできごとについて語り手が正反対の印象を抱いているとしか受け取れない記述があり、煮え切らない曖昧な印象を残した。また語り手やその他の登場人物が無意識に前提している世界観、と言うか特に倫理の部分がわかりにくく、だから時に会話もなんかちぐはぐに思われた。そんなことを言えば海外文学の古い翻訳なんて一冊も読めないことになってしまうじゃないかということになるが、本音のところではそんな風に言ってしまいたい気もする。もちろん例外はあるし、その作品にものすごく惹かれた場合はこれはもう話は全然違って来る訳だけど。
慣れない場所、人々、職責によって極度の心的ストレスと被害妄想に陥った語り手が、世界の裏を必要以上に読み過ぎ、自分で作り上げたありもしない敵を相手に独り相撲をとった、というのが僕には一番無理のない解釈に思われた。そしてひとたびそう思い決めてしまうと、ひとつの恐怖、自分と乖離してしまう自分という恐怖が、微細に描かれていたような気もしてくる。つか、どっちなんだ、自分?