指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

過ぎ去った、懐かしい場所としてのチャンドラー。

さよなら、愛しい人

さよなら、愛しい人

本当は「ロング・グッドバイ」の村上さんの訳を読んだときに気づくべきだったのかも知れないけど、「さよなら、愛しい人」の方により色濃く感じられることがあって、それはチャンドラーが特に初期の村上さんの小説作品に対してすごく深い影響を与えたのではないかということだ。それをひと言で言ってしまうとウェイ・オヴ・ライフということになると思う。ウェイ・オヴ・ライフはこの前の高橋源一郎さんと柴田元幸さんの対談集を読んでから個人的に頭を離れない言葉だ。
村上さんの作品を好んで読むようになったきっかけ、村上さんの作品から一番最初に感じた魅力がウェイ・オヴ・ライフだったとその対談集を読んで初めて気づかされた。自分が感じた村上さんの作品の魅力を、それほど的確に言い表した言葉に出会ったことはなかった。アイロンをかけたりパスタをゆでたりというところから始まって、女の子たちや鼠やジェイに対する振る舞い方、トラブルに際しての立ち向かい方まで、およそ主人公が世界に対する対し方のすべてに村上さん独特のスタイルが行き渡っている。その一々がすごくかっこよかった。そんな風に生きて行きたいと思わせるに充分なものがあった。それがどれほど浅はかな引っかかり方であったとしても、とにかく僕はそこに深く引っかかった訳だ。
それと同じようなことがもちろんもっとずっと次元の高い形でに違いないけどチャンドラーに対する村上さんに起こった、と仮定したくなるほど、「さよなら、愛しい人」のウェイ・オヴ・ライフは初期の村上さんの作品に似ている気がした。まあもちろん村上さんが訳されているのだからそりゃそう思えるに決まってるのかも知れないけど、おそらくは他の村上さんの翻訳作品以上に。
そこからもう一歩だけ不確かながら推論を進めてみる。ここまで初期の、初期の、と用心深く繰り返してきたけど、すでに現在の村上さんの作品には初期作品ほどあからさまなチャンドラーの影響はないような気がする。村上さんにとって翻訳は先行する作者に対するオマージュ、ないし恩返しみたいな側面を持っているように思われるが、チャンドラーに関してはレクイエムみたいな響きが村上さんの中にあったんじゃないだろうか。学ぶべきものは学び、取るべきものは取り終えた。それはすでに過ぎ去った、ただ懐かしい場所としてのチャンドラーなのかも知れない。もちろんそれは読者には関係ないことなんだけど。