指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

物語取り込まれ本、もう一冊。

ねたあとに

ねたあとに

昨日の記事で触れた、まだ感想を書いていないけど物語に取り込まれてしまった作品というのがこれ。お話のほぼ100パーセント近くがある平屋の中で進行するんだけど、その間取りもすっかり頭の中にできあがったほどに入り込んだ。ちなみにその間取りは巻頭に詳細な図として収録されているんだけど、読んだ後で見直したら頭の中のものと微妙に違っていた。もちろん自分の頭の中にある間取りの方が正しい。ことにしておく。
ぐだぐだ感、と言っていいんだろうか。でもそれとも少し違う気がする。少なくとも登場人物たちはその平屋でのルーティンワークをかなりきちんとこなしている。何かと言うとアルコールの栓が抜かれる訳でもない。そうなってしまっても少しも不思議ではないのに、二日酔いになるほどの量は滅多に飲まれない。でも鴨居には切れた電球が訳もわからず何個も並べられているし、布団はその辺に積み上がっているし、麻雀牌はなぜか粉を吹いているし、本来きちんと固定されていてしかるべきものが画鋲で仮留めされている。そして夜な夜な不思議な遊びが登場人物たちによって遊ばれる。夜な夜な、でもないか、みんなあっさり眠ってしまったり、持ち込んだ仕事に没頭したりする夜もあるようだ。でも何かがぐだぐだだ。とりあえず、が結果的に永続してしまう。
こうした作品内の雰囲気は、コモローという主人公格の登場人物とその父親の「おじさん」の心映えに大きく拠っている。人ばかりでなく虫とか天候とかいった自然までをおおらかに受け入れて行く許容力だ。もうひとつあって、それは語り手の細かい観察眼だ。コモローたちの許容力を正確に見通し、さらに人々の心の動きをつぶさに感じ取ることのできる観察眼と感受性が無ければ、この物語は成り立たないように思われた。
興味深かったのはこの物語の終わり方だ。理屈で言えば「千夜一夜物語」みたいに延々終わらなくても全然構わない構造なのに、やはり終わりがやって来る。特に事件がある訳でもない。今年の夏もこの平屋では同じことが繰り返されただろうことは容易に推察される。でも物語としては終わる。その終わりの根拠については結構考えたけどわからなかった。
すごく楽しい小説だ。できれば夏の間に読むといいんじゃないかと思う。たまたまその時期に読めて得したような気がする。