指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

キム・ヨナ選手と浅田真央選手。

もともとどんな形でもお祭りめいたものが嫌いなので、オリンピックの中継などほとんど見ない。特にフィギュアスケートは恐くて見てられない。前回の冬のオリンピックの荒川静香選手の金メダルも、情報としては知っているけどおそらく金メダルをとった演技は見ていない。それが今回の女子のフィギュアスケートショートプログラムを見ることになったのは、たまたま午後12時半から1時半までが会社の昼休みでうちに帰っており、家人がよくオリンピックの中継を見ていたからだ。だから日は違っても同じ時間帯におこなわれたスノボのハーフパイプなんかも割とライブで見た。男子で優勝したホワイト選手はすごい演技だったらしいが、残念なことにそのすごさは見ていてもあまりよくわからなかった。すごいと言うなら、どの選手もすごいと感じられた。
それに比べると女子フィギュアスケートショートプログラム浅田真央選手とキム・ヨナ選手の演技の間には、何か決定的に違うものが素人目に感じられた。後者は安定感が抜群だとか、演技が柔らかいとか、表現力が豊かだとか、そういう風に言うとどれもそれなりに当たっているんだけど今ひとつ言い足りてない気がする。もっと決定的に違うものがある。それは何かということが心に引っかかりながら昨日のフリーの演技を見ていて、あ、これかなという感じで気づいたことがあった。
浅田選手でもあるいは安藤美姫選手でもいいんだけど、その演技はどんなに見事に演技されようともどこかに、結局それは振り付けをこなしているに過ぎないじゃないかという感触を残している、ということがそれだ。この辺りはうまく言うのが本当に難しいんだけど、確かに振り付けに対して忠実で練習を積んで完成度を上げて来たことはわかるのだが、それだけでは駄目だと思わせるものがヨナ選手の演技にはある気がした。それもまたうまく言うのが難しい。振り付けと演技者の一体感とか、振り付けを内在化しているとかそういうことだが、浅田選手が到達点と考えているのが振り付けを完全にこなすことなのに対して、ヨナ選手はむしろ振り付けを自分の中に取り込んでしまうことを目指している。浅田選手の理想の演技は自分の外にあり、ヨナ選手の理想の演技は自分の中にある。あるいは浅田選手は振り付けを見上げていて、ヨナ選手は振り付けを見下ろしている。それがヨナ選手の演技の持つ図抜けた余裕と自然さを支えている気がした。
それがヨナ選手の圧倒的な練習量から来るのかとか、そもそも浅田選手とヨナ選手では練習量がそんなに違うのかとか、そういう風に問い始めるとよくわからなくなるけど、振り付けを聖域とせず自分なりに解釈し物語化するということをいつの間にかヨナ選手が始めていたことは間違いないと思われる。もちろんその物語は振り付けを考えた人の思惑にとらわれる必要がなくその思惑を越えてしまっても全然構わない。ヨナ選手に与えられたその物語の自由度に追いつかない限り、浅田選手の金メダル獲得はなかなか難しい気がする。