指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

自分から遠く離れないこと。

文士の魂・文士の生魑魅 (新潮文庫)
車谷さんの作品の魅力は、うまく言い表せないながら自分の中ではある程度きちんとしたイメージとして形になっている。それについてはこれまでにも舌足らずながら触れて来た。今度文庫になったのは車谷さんが影響を受けたり受けなかったりした小説についてエッセイ風に書いた本を二冊分まとめた作品だが、そこでも車谷さんの魅力はまるでぶれることなくほの暗い光を放っているように思われる。
そういうのを一言で言い表そうとして、今回は自分から遠く離れないこと、という言葉を選んでみた。骨身にしみた言葉以外は使わない、とでも言えばいいか。あるいはよくも悪くも自分のいる場所から背伸びもせず、また身をかがめもしないで生き書いているとでも言うべきか。生活と作品がダイレクトにつながっている感じだ。
物語という観点からするとできるだけ膨らませて比喩や象徴をふんだんに織り交ぜ、ああも読める、こうも読めるという風に仕立てる方がおそらく流行りでもあるだろうし、読者にも受け入れられやすい土壌ができているように思われる。そして正直に言えば自分自身もそういう作品の方が好きだ。そこでは普遍的な何かが目指されているし、自分の姿も世界の姿もある意味で見つけやすい。
でも車谷さんの作品はまるで逆に、もしかしたら共感などという弱い心のあり方などを初めから拒んでいるんじゃないかと思われるほど、普遍の方へは開かれずに固く閉ざされている。それが反時代的であり、反社会的であり、毒虫であるとご自身でご自身を評される所以となっている。でもそうであるからこそ、そこには打てばがちんと跳ね返されるほどの強い強い何かがある。車谷さんを読むことの愉しみはその跳ね返され方の強さに拠っている。