指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

起こったことは起こったことなのだ。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
一ファンとしてものすごくおもしろく読んだ。村上さんの作品には謎がある。それはミステリのように作品が終わるまでのどこかで解かれるような謎ではない。では、世界というのは元来がどこかに必ず謎を秘めているものであって、村上さんの作品の謎はそうした世界のあり方のメタファーなのかと問うと、かすかにそういう感じもしなくもないけど、いやそういうのとも違うんだよなという印象の方が個人的には圧倒的に強い。ではその謎はなんなのか。その答えをひと言で言うことは作者にもできない。帯にあるようにそれには回答はあっても解答は無い。でも少なくともその謎の根拠とか存在意義といったものは読みようによっては随分クリアに語られているように思われる。
謎に耐えきれないと読者は不安になるかも知れない。だからこれはこうであれはああだと決めつけてくれる村上本というのがたくさん出版される。僕も何冊か持っている。でもそれを読んで何かがすっきりと腑に落ちたということはこれまでに一度も無い。大体当の村上さんご自身が何かについて判断し断定してしまうことを注意深く避けていらっしゃる。何かを力ずくでどこかに収めてしまうより、わからないものをわからないままにしておく方がずっときつい。そして大抵の場合楽をするよりきついことに耐える方が価値が高い。それは自分の生活上の実感とも合っている。読者にできるのはその気があれば村上さんの作品を何度も読み返して、少しでも前進することだけだと思われて来る。それでもすべての謎が解けることはないだろうと、作者がはっきり言ってるけど、それとは関係なく。
風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」の翻訳がアメリカやその他の国で手に入らないようになっている、という事実には驚いた。それと村上さんは自分の体験して来た大抵のことを、それはよかったんだと思われていることに気づかされる。起こったことは起こったことなのだ、という作中の言葉と、それは呼応しているように思われた。