指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

オースターを考え直す。

オラクル・ナイト
初めてオースターの作品を読んだときはまだ学生だったので、なんのかんので二十年くらいは読んで来たことになると思う。それだけずっと読んでたんだから、好きな作家ということにもなると思う。でも「オラクル・ナイト」を読みながらあれあれと思った。それはオースターってこんなだったかな、というのに始まって、いやでも紛う方無きオースターの作品だよという思い返しを経て、オースターって自分にはあまり向いてないかも、というところあたりで落ち着いた。
端的に言って主人公が好きになれなかった。心の動かし方によくわからないところがあるし、わかったとしても自分からは遠すぎる気がした。たとえば突然何もかもを捨ててひとりでどこかに行ってしまいたいという衝動は、そういう風に抽象的に言われる限りではよくわかる。でもそれを小説の中に息づかせ読者の共感を得るということはまた別の次元の話だ。そんな感じで、この作品に描かれる愛情や憎悪といった、作品にとっての大切な情緒が、ひどく胡散臭いもののように思われて自分でも驚いた。いつも適切なところから過剰にはみ出してしまい、その分本来あるべき重さを失って真に受けられないもののような印象をつくり出している。
そしてひとたびそう考え始めると、これまで読んだすべての作品で同じようなことが繰り返されて来たような気がして来る。いやそうではないかも知れない。もしかしたらそれは本当に微妙なバランスを保った物語で、右にも左にも滑り落ちないように細い尾根を進んでいるのかも知れない。その尾根に留まろうとすれば留まることができるし、留まることができるのはオースターの良い読者だということかも知れない。
でも少なくとも自分はこの作品でオースターから滑り落ちてしまった。そして滑り落ちてみると、これまでバランスを保って来たのが、自分はオースターが好きだという自己規定のせいに過ぎなかったように思われて来る。