指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ちょっと意地悪く言うと。

うちは読売新聞をとってるんだけど、今日の朝刊に村上龍さんの「歌うクジラ」の広告が載っていた。「村上龍の超・エンタテインメント!」という惹句があって新聞社の短評がいくつか引用されている。短評のうち半分は作者自身がこの作品について言っていることの繰り返しで真に受けられない気がした。超・エンタテインメントというのも曖昧で、エンタテインメントを超えた何かという風に解すべきなのか、超ラッキーとかいう言い方と同じですごくエンタテインメント、ととるべきなのかはっきりしない。その両者の違いはとても重要なものに思われるけれど。それから本の帯にしっかり明記されている「iPad版で先行販売」についてまるで触れられていないのもよくわからない。本を買おうと手にとった人に対して、iPad版でも手に入るよ、とわざわざ言わずもがなな情報を伝えているくらいなんだから、広告でもそれについて触れたらよさそうなもんだと思う。
聞くところによるとiPad版「歌うクジラ」では効果音や音楽が楽しめるらしい。また電子書籍の制作に手を染めたのも、出版社は本に関するノウハウはあるけどそれだけでは電子書籍の開発には充分ではない、という判断からだったようだ。そうだとしたら、電子書籍というのはこれまでの本とはまるで違ったコンテンツだと考えた方がよいことになる。それを楽しむことは、これまでの読書という言葉とはまったく異なった体験となるだろう。少なくとも村上さんが考える電子書籍はそういうことを目指している気がする。
少し意地悪く言うと、作者はこの作品がうまく行ってないことに連載中から気づいていて、それをごまかす手段として電子書籍化を考え出したんじゃないだろうか、そんな風に勘ぐりたくなる。「希望の国エクソダス」や「半島を出よ」やその他の作品は、その問題意識によって時に社会的なセンセーションにまでなり得たけど(それが作品にとってよいことだったかどうかはまた別の問題だが。)、おそらく「歌うクジラ」にそれほどの力は無い。惹句に現れた「エンタテインメント」と電子書籍化は足並みを揃えて、そのことを証しているように思われる。