指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「眠り」について。

ねむり
この作品のオリジナルヴァージョンの「眠り」を初めて読んだのは、単行本ではなく雑誌でだった。どの雑誌だったか憶えていないけどオーソドックスな文芸誌ではなく上質の紙を使った大判の雑誌だったと思う。ついでに言うと、それには「眠り」の他に「氷男」も掲載されていた・・・と書いて来て急に記憶が鮮明になったので書棚を漁ると、「村上春樹ブック」というムックみたいなのが出て来た。「文学界」の1991年4月の臨時増刊号だ。でも記憶と違ってそこには「氷男」と「緑色の獣」の二編が掲載されているだけで「眠り」は掲載されていない。うーん、調べてみるか。
わかりました。1989年1月号の「文学界」が「眠り」の初出だ。「文学界」はオーソドックスな文芸誌だし文芸誌はまず読まないから、この作品を初めて読んだ記憶は自分の中でねつ造されたものと思われる。でもそのねつ造にはちょっとだけ根拠があるかも知れない。「眠り」と「氷男」はいずれも女性の一人称で書かれていてどちらも独特の違和感を抱かせたからだ。それまでの村上さんの作品はほとんど若い男性の一人称だったことがその違和感のもとになっている。「眠り」はこの違和感を仲立ちにして「氷男」を初めて読んだ記憶に上書きされたものと思われる。
それで今度の「ねむり」だけど、比べて読んでみた訳ではないので「眠り」とどれほど違っているかはわからない。それほど違っていないんじゃないかという気もする。ただし、若い頃「眠り」を読んで感じた違和感はまるで無くなっていた。すごくおもしろく読める、ホラーみたいに恐い話だった。その後の村上さんの作品を読み続けたせいで村上さんがどのように守備範囲を広げて来られたか今の僕は知っている。初めて「眠り」を読んだときそれはすごく唐突な場所にぽつんと置かれた作品のように思えたけど、今ではその位置がすでに村上さんの守備範囲内にあることが自然にわかるようになっている。それが違和感が無くなった原因だと思われる。そういった意味では「眠り」は村上さんにとって、箱に詰め込まれた猿たちのように埃を丁寧に払ってぱんと尻を叩いてもう一度草原に帰したい作品だったかも知れない。もしそうだとしたら、その気持ちはよくわかる気がする。大変僭越なことだけど。