指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

村上さんの訳してないフィッツジェラルド。

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (角川文庫) フィツジェラルド著 長山篤一訳 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生
角川文庫は、あるいは角川書店は、小さい「ッ」を除いたフィツジェラルドという表記で統一しているようだ。
村上春樹 雑文集」で火のついたフィッツジェラルド熱なので、結局のところ村上さんのフィッツジェラルド体験を追体験することが目指されているし、我ながらそれは仕方ないんじゃないかという気がしている。でももちろん村上さん以外にもフィッツジェラルドの読み手も訳者もいる。今は手に入る限りの作品を読む気になっているので、このアンソロジーにも手を伸ばしてみた。
表題作はブラッド・ピット主演で少し前に映画化されたようだけど、一読してこれまで読んで来たフィッツジェラルドの作品から見てすごく異色だと思われた。これまでにもファンタジックな要素が無い訳ではなかったけど、これほどあからさまなファンタジーを書くとは思いもよらなかった。ただ時間軸を逆にしても結局失われるものは失われるという見方はフィッツジェラルド独特のものと言えるかも知れない。二番目は作者が13歳のときに書いたという推理小説だし三番目は犬の視点で書かれている。四作目の「最後の美女」まで来てやっと「らしさ」を感じることができる。あまり存在感は無いけど「氷の宮殿」などに登場するサリー・キャロル・ハッパーが出て来る。次の作品はまた推理もの、その次の「異邦人」はホラーみたいだけど、ヨーロッパ滞在中のゼルダとスコットの姿が反映されている気がして親しみ深い。最後の作品も淡い失望を描いていてそれらしい。
フィッツジェラルドの短編はそのかなりの割合が邦訳されていないそうだ。原書に当たらない限りは、だから読める作品は結構限られていることになる。現在手に入る翻訳の多くを手がけている村上さんの目を通して、フィッツジェラルドの作品像を丹念に追うのはもちろんとても趣深いし、ある意味で僕のような素人には効率的なやり方だと言えると思うが、村上さんの訳していない(あるいはこれからも訳すことのない)フィッツジェラルドに触れることができておもしろかったし何よりすごく驚かされた。