指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ずっと読まなかった本、もう一冊。

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (中公文庫) 村上春樹著 「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック
村上さんのこれまでに訳されたフィッツジェラルドの作品はこれで全部読んだことになると思う。雑誌に載ったのに単行本未収録なのがあれば別だけど。
村上さんは「マイ・ロスト・シティー」の中でフィッツジェラルドを「僕のための作家」と呼んでいる。また同書に訳出されたエッセイがひとつと五編の短編は、「現在翻訳が発表されていないもの」という基準で選ばれたという趣旨のことも書かれている。これらの言及から「マイ・ロスト・シティー」はかなりプライベートな動機で編まれた一冊だと言えそうだ。自分のための作家の作品を未訳なものに限って訳すというのは後年村上さんが既訳の訳し直しということに踏み込んで行くことから振り返って眺めると、とても消極的な姿勢に思われる。そこで重要なのは文学にとってどうかということより、まずは自分の楽しみと満足のように見える。楽しくて気楽な作業と言っていいかも知れない。
でも「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」の村上さんはそれとは少し違っている。フィッツジェラルドゆかりの地は何ヶ所か訪れた後だし、それについて書くことは多かれ少なかれスコットとゼルダの生涯に触れることだ。また「夜はやさし」のふたつのバージョンについての説明はこの作品への入りにくさを随分やわらげてくれる。ゼルダの生涯にも触れているけどそれはフィッツジェラルドの作品を理解するのに不可欠のように思われる。要するにここで村上さんはより積極的にフィッツジェラルドの新たな紹介者をもって任じているように見える。新たで、もしかしたら、初めての。それらのおおとりとして「リッチ・ボーイ(金持の青年)」が置かれているのは仕上げの意味かも知れない。本当に、じーんと沁みた。だいたい本のタイトルからして村上さんの心意気が示されていたのだ。かつてそれに共感しなかっただけで。