指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

文学なんて知らない。

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫) 橋本治著 「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」
最近外回りの途中で渋谷のブックオフに行くようになった。さして回り道をしなくて済むところに一軒見つけて以来のことだ。長居はしない。文庫版のカズオ・イシグロの作品があればいいなと思って毎回探すんだけどまだ一冊も見つけたことがない。後は今の興味で言えば橋本治さんの本をちょっと探す。それくらいでせいぜい数分の寄り道だ。先々週だったかこの本を見つけたとき、この前の「小林秀雄の恵み」がおもしろかったので迷わず買った。
読み始めて数十ページのところで、いやこれはせめて「豊饒の海」四部作くらいは読んでおかなければいけなかったかなとちょっと後悔しそうになった。くらい、と言ってもそれらは結構な分量がある。今は他に読みたいものがいくらでもあり正直言って三島由紀夫は特に好きな作家でもない。この本を読む気になったのは橋本さんの論がおもしろそうだったからでそれを存分に楽しむために「豊饒の海」を読むことが必要だとしたらこの本を読み続けること自体を諦めなければならなくなるように思われた。でも結果から言えばそれは杞憂だった。三島由紀夫で読んだことがあるのは「仮面の告白」他せいぜい数冊、それも結構昔の話で細かいところは憶えていないという自分でも注意深くたどればこの本を読むことができた。あるいは一冊も読んだことがなくてもきちんと読むことができるかも知れない。
橋本さんは基本的には二項対立をもとにこの本を書き進めている。それは「小林秀雄の恵み」でも踏襲された方法だと思われる。この方法のいいところは少なくともその場では二項の差異だけ理解していれば論旨がわかるということだ。実際Aと非Aだけわきまえていればそれで読めてしまうところもある。ところがA=A'とかB=B'とかまでならまだいいんだけど、A=B'とか第三項のCが出て来たりしてしかも論旨が曲折して来ると割に注意深く読まないと振り落とされる危険がある。だいたいA=B'なんてすでに二項対立じゃないじゃん、とか思うけどそれでも橋本さんがそうとしか説明できない必然みたいなものが感じ取れる。個人的にはそこに、これが文学だよという声を聞く。橋本さんはご自分を文学者とは規定していないし、この本もいわゆる文学的な文体と言うか、論文のような文体では書かれていない。それでもそこには文学の手触りがある。誤解の無いように付け加えると文学の手触りがあるからいいとか高級だとか言いたい訳ではない。対象が文学である限りどんな文体を使おうともそこには必ず文学が現れてしまう、という事実を言いたいだけだ。
橋本さんはもともと三島由紀夫になど興味が無いと明言している。小林秀雄のときも同じだった。それは文学に興味が無いということと同義なのではないだろうか。そうだとしたら、個人的にはそこにいちばん共感するべきなのかも知れない。自分も文学などとはまるで関係のないところで本を読み続けている気がするからだ。