指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

何かが違う。

無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫) 村上龍著 「無趣味のすすめ」
今日はアイルトン・セナの命日だ。
村上龍さんはもう読まないとか書いたけど文庫だからいいかと思って買った。終始何かが違うと思いながら読んだ。前半は、こういうことがすでにできている人はこういうことを読む必要が無いだろうし、できてない人にとっては読んだところでなんの処方箋にもならないだろう、要するにあまり意味が無いんじゃないかという気がした。と思ったら村上さん自身が「あとがき」で同じことを書いていた。

(前略)わたしがここに書いたようなことは、経済的勝者からすれば当たり前のことで、今さら何を、という感じで読まれるだろう。経済的敗者にとっては、「こんなこと言われたって具体的にどうしろって言うんだ」という感じで、有用だとは思えない。
(後略)

その思いが強くあったからか後半はトーンが変わってやり玉に挙げられるのは政府やメディアになる。そのせいであたかも著者が著者の言う「経済的敗者」にも目配りをきかせているかのような印象になるけど、前半にひどい違和感を抱かされた「経済的敗者」の身にしてみればそんなの小手先にしか見えなくて本音は前半でしょ、とつっこみを入れたくなる。
「すべての男は消耗品である」シリーズを読み続けて来て、個人的には同じような違和感をずっと抱き続けて来たはずだ。でもその違和感に耐えてできるだけ受け容れようとするある種の柔軟性がかつての自分にはあった。今はそれが無い。自分が硬直化しているようにも思われるがそれには自分なりの根拠もかすかにある気がする。