指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

揺らぐ「私」。

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ著 飛田茂雄訳 「浮世の画家
これまで読んで来たカズオ・イシグロの作品では多かれ少なかれ記憶というもののあり方が問題となっていた。「私」とは記憶に拠る物語なのでそれは自分というもののあり方が問題となっていたと言い換えることができる。そしてイシグロの作品を辿ればそこでは「私」とはそれほど確固としたものではないと繰り返し示唆されているように思われる。語り手の記憶は混乱しありもしないものが現れたり無くてはならないものが削除されていたりする。その記憶の混乱が「私」の輪郭を曖昧にして行く。
ただこの作品ではもうひとつ、自分に関することなのに自分だけが知らず、でも周囲の人たちはみな知っているという要素が付け加えられている。それは記憶の混乱ということとつながりながら語り手をゆっくりと追いつめて行く。おそらくその被害意識から語り手は一気に現状を打開できるような告白をする。彼が長い間正当化しようとしてし切れなかった罪悪感がその告白の内容だ。その罪悪感の元は何か、ある程度の方向付けはされていながら具体的なことは描かれない。もちろんそれは描かれなくていい。そのブランクを中心にしたお話の構造があれば充分だから。むしろ問題なのはその告白自体が見当はずれだったことだ。語り手の「私」は揺らぎ続ける。
個人的にはこの作品は自分の現状とすごくよく通じている気がした。年齢と共に記憶力が怪しくなって来たことに加えて、最近あることをきっかけにして周囲の人たちが自分には伝えずに自分に対して何かの判断を共有しているんじゃないかという被害者意識を持つようになったからだ。それがこの作品の語り手ほど深刻にならないのは家人がいるからだ。そう言えば語り手の「私」の揺らぎが深刻化し始めたのは彼の妻の死亡と時を同じくしているように読める。