指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

不思議な小説、不思議な作家。

悪人(上) (朝日文庫) 悪人(下) (朝日文庫) 吉田修一著 「悪人」上 下
吉田さんの小説はちょっと前に「パレード」を読み随分前に「7月24日通り」を読みさらにもっとずっと前に「パークライフ」を読んだ。ずっと前と言っても「パークライフ」は2002年の刊行らしいのでまだ十年経っていない。芥川賞をとったのが読んだきっかけと思われ、なんか日比谷公園のイメージが思い浮かぶけど詳しくは憶えていない。特に好きな作家とは思っていなくて、だから好きな作家だとそうするように既刊を全部読もうとかいうことも試みていなかった。「パレード」を読んだときはとてもいいと思ったけどそれでもそれ以上踏み込まなかった。
8月15日の記事にあるようにブックオフで上下巻それぞれ105円で手に入るのでなければ、「悪人」も読もうと思わなかったに違いない。ふと手にした上巻の帯に100万部突破とあったのも背中を押した。ベストセラーはできるだけ読んでおきたいからだ。読んでみるとすごくおもしろかった。ミステリというくくりでは最近読んだ「八日目の蝉」もよかったけど、まあ比べる必要もないけどあえて比べれば「悪人」の方が数段よくできている気がした。何が、と言われると少し困るんだけど、小さな声で、文体が、と答えるしかない。
ただなぜ小さな声になるかと言うと、「悪人」の文体は特にエッジが利いたものとは到底思われないからだ。むしろ客観的で透明度が高い方を、新聞記事みたいに作者の痕跡をできるだけ消し去る方向を目指しているように読めた。でも、たとえばこの事件が事実だったとして、誰かが綿密な取材で関係者の内面にまで立ち入れるほど充分な情報を蓄えたとしてみる。それをノンフィクションの手法で再構成してもこの文体には絶対にならない。だから当たり前だけどこの作品にはきちんとしたフィクションの文体があるはずなのだ。
その、語り手の癖や特徴をあまり感じさせない文体がとても不思議な読後感を残した。それでこの後、吉田さんの作品をまとめて読んでみることにした。
ところで「悪人」とは誰だろう。このタイトルが選ばれている以上、この作品には作者が考える典型的な悪人の姿が映し出されていなければならない。そうでなければ「悪人」という言葉の成り立ちのようなものが。お話の最後に出て来る「悪人」という言葉は反転されたネガフィルムのようなもので、当てにならないと思う。だからこそこのラストはとても印象的なんだけど。