指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

極北の道。

極北 マーセル・セロー著 村上春樹訳 「極北」
たとえば「未来少年コナン」とか「風の谷のナウシカ」とかエヴァンゲリオンなんかでもそうかも知れないけど、大量破壊兵器の使用や天変地異みたいなもので壊滅的な損傷を受けた後の世界を描くというのは、近未来SFとしてはすでにひとつのカテゴリーをつくっている気がする。個人的に同種のもっと最近の作品としてコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」を考えている。また「水域」や「武装島田倉庫」をはじめとする椎名誠さんの一連の近未来ものもここに含まれそうだ。
だからなんだと言うと、だからこの「極北」の設定も決してものすごく独自なものでもないと言いたい訳だ。だから、

(前略)「面白いことは面白いけど、こういうの、前にもどこかで読んだことあるよな」と読者に思われてしまうと、小説はそれだけ力をそがれてしまうことになる。
(後略)

でも、この作品はそういうものではないという意の訳者の言葉は、おそらくこうした設定以外の何かを指していると思われる。個人的にはこの本を「ザ・ロード」と同じ設定、同じ時代の、別の地域の話のように読んだ。そして「ザ・ロード」を読んだときとまったく同じように、はじめはSFっぽい設定になじみ深さを覚えながら、次第に物語に引き込まれて読み進んだ。
文体が重くてなかなかすらすらと読めない作品ではないかと思う。でも丹念に読み進むとあるとき語り手の思索の跡が全体像としてぱっと頭の中に現れる。なるほどそういうことが言いたかったのかと深く納得して、さて、と気を取り直す感じで先に進む、そんなことの繰り返しだった気がする。物語がどこへ行くのかというのと同じくらい気になるのが、徐々に明らかにされて行く語り手の人物像だ。語り手の心と体は住む世界と同じくらい壊滅的な損傷を受けている。やがて極北が場所でもあり同時に概念でもある一瞬がやって来る。おそらくそこが語り手の絶望の最深部だった。語り手はそこをくぐり抜けることができただろうか。
作者マーセル・セローはポール・セローの次男ということだ。ポール・セローの「モスキート・コースト」の中に、父さんの嘘は他の誰の嘘より僕を孤独にさせた、という意味の一節があったと思う。この「極北」を読みながらそんなことを思い出した。