指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

また語り手の話。

あたしはビー玉 山崎ナオコーラ著 「あたしはビー玉」
不思議な小説だと思う。なんだこれ、全然筋が通らねえじゃんという立場からすれば揚げ足取り放題だろう。そういう点でまあ無防備とまでは言わないけどガードが低いのは確かだと思う。でもそういうことは作者にはあまり関心が無いんだろうなあとも思う。楽しく読んでもらえればそれでいいじゃんという作者の声が聞こえて来そうな気がする。
でも不思議なことが書いてある。僕が持ってるのは2009年12月9日発行の第一版だけど93ページ。

(前略)
清順は、ビー玉が喋るのを聞いた小説の主人公にしては、随分とビー玉を厚遇してくれていて、必要以上に驚かず、きっちり食べ物をくれ、ときどき可愛がってくれる。(後略)

不思議だ。「清順」というのはこの小説の主人公で、そして確かに彼はビー玉がしゃべるのを聞く。でも小説の語り手たるビー玉が、小説の主人公たる清順を作中で「小説の主人公」と呼んでいるのが不思議だ。つまりこの作品はビー玉が清順を主人公にして書いた小説だと言っていることになる。ということは清順も他の人物もあるいはこの作品の舞台もどこにも存在せず、すべてビー玉の作り話であっても少しも構わないということだ。この作品をさらっと読めば語り手たるビー玉は清順や他の登場人物たちと同じ土壌にいて、自分や清順や他の人物らの行動を記述しているように読める。ところが事態はそうではないのだ。念を押すように作者は少し後でもこう言っている。205ページ。

(前略)小説とは、なんだろう。今、あたしが書いているようなものか。(後略)

この作品はこの設定を使って作者によって言わば限定解除されている。つまりなんでもありで構わないということだ。そしてビー玉は語り手であるばかりでなく作者として自分の願望を自由に記述する権利を持つ。だったら最後のキスでビー玉が女の子に変わる訳がない。でしょ。