指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

そして都電荒川線踏破、再び。

それで夏休みの自由研究にしようということになって再び都電荒川線を踏破した。歩数計を買って駅の間の歩数をはかり、各駅の看板の前に子供を立たせて写真を撮った。鬼子母神のよくマスコミに取り上げられる駄菓子屋さんや、飛鳥山公園や、荒川車庫などではちょっと寄り道してそこでも写真を撮った。下町、と言っていいのかわからないけど、荒川線沿線は昭和の香りを残す風景がそこここに見かけられて雰囲気が独特だ。散歩歴も五年になる子供はすでにちょっとした散歩の達人で、そうした見慣れない風景に呼び起こされる情緒に敏感な気がする。細道や曲がりくねった脇道を見つけては、今度来たときはあっちに行ってみようよパパ、と言う。
初日はあまり時間が無く早稲田から始めて大塚で日が暮れてしまって帰って来た。二日目は大塚から熊野前まで確か13駅を歩いた。三日目は熊野前から三ノ輪橋まで8駅くらい歩いて、時間が余ったので前の日歩数計のカウントがどうも怪しいように思われた庚申塚、巣鴨新田間を歩き直すために庚申塚まで戻った。これで下調べは大体終わりであとは写真と記事をノートにまとめる。
小学五年生の男の子ともうすぐ五十に手が届く父親との道行きには、どこかもの悲しいものがあると思う。そのもの悲しさがどこから来るのか本当はよくわからない。いずれ反抗期が始まり今のような関係が長くは続かないとわかっているからかも知れないし、もっと別の理由かも知れない。でももしかしたらコーマック・マッカーシーが「ザ・ロード」で描きたかったのは父と息子の道行きが本来持っているもの悲しさで、つまりマッカーシーはそれをある程度普遍的なものと見なしていたのかも知れない。そう考えると個人的にはものすごくよく腑に落ちる。