指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

微妙なこと。

すごく微妙なことなので誤解の無いように書きたいんだけどこれまで塾に来ている中一の女子生徒さんには娘のかわいさってこういうものかなと思われるようなものを感じて来た。でもなんて言うか女の子というのは男の子なら絶対にしない独特の甘え方をすることがあってこの前の数学の宿題を代わりにやって欲しいと頼まれたときなんかもそういう感じだった。甘えられてどう思うかと言うと正直に言うと悪い気はしない。その悪い気はしない感じをすごく突き詰めて考えるとどんなに年齢が離れていても女と男なんだということしか根拠として考えられない気がする。もちろん僕にはある種の限定された嗜好は無いし現実的な何かが起こることは百パーセントあり得ないんだけど、甘え甘えられる関係には吉本隆明さんの言う「対(つい)幻想」、つまり彼女と自分は対なる関係になりうるんだという幻想が隠されている。そしてそういう風に考えると「対幻想」という言葉が事態をものすごくうまく言い表していることに気づかされる。ではどうして家人との間にまずその対の感じを抱かなかったのかと言えば、家人との関係がなんの支障も無しに成し遂げられ、現在も順調に進行しているからだと思われる。あり得ない関係だからこそ、逆に対が意識されるような気がする。だからそれはとても観念的なものだ。そして個人的にはしばしばそんな風に感じるんだけど、観念的なものの方がよりリアルに感じられる場面というのがある。あるいはいったん観念を通さないとリアリティーというのは成り立たないんじゃないかとさえ考えている。