指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

自由の感触。

大いなる眠り
すごく個人的な話になるけど訳者のあとがきが無ければこの小説の味わいも随分異なったものになっていたはずだ。まずレイモンド・チャンドラーが四十代で失職し生活のために職探しをしなければならなかったと知って共感を禁じ得なかった。なんだ俺とおんなじじゃん。彼はパルプ・マガジンに短編小説を書き始める。パルプ・マガジンというのはしばりが多くてそれにきちんと従わない作品ははじかれてしまうそうで、でも逆にそのしばりがチャンドラーには幸いした。資質として0から物語を紡ぎ出すタイプの作家ではなく外部のフォーマットを利用する方が彼には向いていたからだ。でもだんだん腕が上がって来るともっと自由にもっと質の高い物語をつくりたくなる。そこで長編を書き下ろしにするスタイルにシフトしたという成り行きらしい。
フィリップ・マーロウの魅力を村上さんは自由さだと言っている。警官であることを辞めたマーロウには自分で自分をマネージメントしなければならないきつさと、その代償としての自由があった。やや強引で短絡的かも知れないけどその自由な感じは作者自身の心の状態から来ているんじゃないかと思われる。組織から離れて筆一本で生きて行く覚悟を決めた作者には、マーロウと同じきつさと自由があった。そしてさらに我田引水を重ねると、同じような体験からはい上がりつつある僕にもその自由な感じが実感としてとてもよくわかる。それは確かに孤独で不安定できついことかも知れないけど、自分の好きなことをしているという自由の感触がある。誰の世話にもなっていないし誰にも迷惑をかけていないと断言できる清々しさがある。少し前に触れたマーロウのオフィスと村上さんのグリーン・ストリートのオフィスと僕の塾をつないでいるものの正体もそれなんじゃないかという気がする。空気の質が本当によく似ている。
村上さんの翻訳は出れば大抵すぐに買うのでもっと前にこの本を読んでいた可能性もあった。離職後一ヶ月のそのときに読んでいたらどう思っただろうか。たぶんチャンドラーの経歴に自分の姿を読み込み、でも結局は成功者となった彼をうらやましく思うだけだったに違いない気がする。僕はまだ新たな就職先を探そうと必死で、たったひとりで仕事を始めることはわずかな可能性しか持たない選択肢に過ぎなかったからだ。だから今このタイミングでこの本を読んだことを必然にも、何か見えない力が働いているようにも感じる。まあ考え過ぎなんだけど、物語の本質とは考えすぎることによってあれとこれとをつなげる営為なんじゃないかという気もしている。