指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

父親の上京。

父親は三十代から髪が薄くなり始めもう半世紀近くそれと戦って来た。ざんばら髪みたいに側頭だけ長く伸ばした髪を頭頂に回してセットしたりしていた。一度頭を洗うとセットが終わるまでに二、三時間かかり子供心によくあんなことが続くもんだなと思った。僕が自分の髪型に一切こだわりを持たないのはもしかしたらそんな父親の姿に対する肯定できない気持ちがあるからかも知れない。
母親以外の誰にも内緒でかつらを作ったと当の母親から聞いたのは十年くらい前のことだったろうか。七十歳になるかならないかという頃だったので頭髪に対する偏執がそれほどまで強固に続いていたのかという驚きと、でもまあその年になって自分の容姿を気にするというのもある意味での心の張りをうかがわせる気がして本人にとってはいいことかも知れないという思いの両方を持った。かつら自体がどういう構造のものかは知らないけど中央線の高円寺駅近くにあるお店に数年ごとに通って新しいものに交換しているらしかった。前回そのために父親が上京したのは三年くらい前のことですでに認知症の兆候が出ていたがかつらのことは誰にも知られたくないという本人の強い意向と、地元から私鉄の特急、地下鉄、JRと電車を乗り継ぐ高円寺までの行程には慣れているという言のために母親は父親がひとりででかけることに同意した。母親は足に難があって少し前から遠出ができなくなっていた。
それが何日か前に母親から家人に電話があり、またかつらの更新日が近いのだが今回はひとりで行き帰りできるかわからないと本人が言ってるので私鉄の特急を降りた駅で待ち合わせてつきそってはもらえないかと依頼があったそうだ。これには少なくともふたつの重要な意味がある気がした。ひとつは認知症が進んで電車の乗り継ぎに支障が出るほどになったということ、もうひとつはこれまで隠し通して来たかつらをつけている事実を家人には打ち明けてもよいと判断したことで、それらはどちらも衰えを意味してると考えた方がよかった。ウィークデイでもあり僕がハードワークをしてることもあって母親としては家人を頼るしかなかったと思われた。快諾したと家人は言った。
でもそれはやはり家人任せでなく僕がやるべき仕事だと思ったし、父親の認知症の程度によっては家人ひとりの手には負えなくなる恐れもあったので、大変休みの取りにくいバイト先ではあるけれどその日は早退させてもらうことにした。バイト先からいったん家に戻って家人と一緒に出かけても父親を迎えに行くには充分間に合うだけの時間があった。
改札から出て来た父親の姿に特にこれまでと異なるところは見受けられなかった。毎日一時間近くウォーキングして足腰を鍛えているので歩くのには問題がないと言うが念のためなるべく歩かなくていいルートをウェブで探しておいて上り下りもエレベーターやエスカレーターを使った。ここ数ヶ月で認知症がぐっと進んだと母親は言っていた。新聞なども最近はほとんど読まなくなったらしい。話してるうちに父親が東京スカイツリーを知らないことに気づいた。東京タワーより高いんだよと言うと驚いていた。お前が先に歩いてくれて着いて行くだけだと楽だと言うので僕が先導して父親と家人が追って来る形で歩いた。行きはどの電車も座れてよかった。約束の40分前に高円寺に着きお昼が近かったので先に昼食を済ますことにした。ピザとかスパゲティーとかが好きなことは知っていたのですぐに目についたプロントを勧めると店の外にかかったメニューを見てたらこのスパゲティーが食べたいと言う。それでその店に入った。サラダ付きのセットにしたらサラダは嫌いだそうで食べなかった。たらこのスパゲティーは相当気に入ったようで砂糖だけ入れた温かい紅茶と共においしい、おいしいと言ってすぐに完食した。この店で何がきっかけだったのか父親は一度びくっと体を震わせた。何かに怯えたらしいんだけどそれが何かはわからなかった。でもこのことは僕に強い印象を与えた。もしかしたら何かに怯える父親の姿を目にするのは初めてだったからかも知れない。
お店までの道順はわかると言っていたがある角を曲がったところでよくわからなくなってしまったみたいだ。お店のサイトで駅からの行き方を見つけて印刷しておいたので、それを頼りにたどり着いた。ここだ、ここだ、と父親は言った。お店の人にケータイの番号を知らせて迎えに来ますのでひとりで外に出さないで下さいと頼んだ。時間は一時間から二時間かかると言う。それで家人とあたりをうろうろしていてケータイが鳴ったのはミスドで二杯目の熱いコーヒーを注いでもらった直後だった。まだ四十分しか経ってない。十分で迎えに行きますと答えふうふう言いながらコーヒーを飲んでから急いで迎えに行った。帰り道で父親と家人に歩くのが速すぎると言われたけどそれは急いで迎えに行ったときの早足がそのまま残っていたからだった。僕は僕で父親をいたわるために緊張しているらしい。
高円寺からの上りの中央線はいつものように混み合っていて父親を座らせることができない。新宿で席が空いた。座ると父親はうつらうつら居眠りを始める。私鉄の駅に着くとたまたま午前中で学校を終えた子供が父親の見送りに間に合った。ふたりは今でも週に一回電話で話している。子供によると電話での父親は別に普通で認知症みたいな感じはないということだ。でも数時間一緒にいただけで認知症とも衰えともとれるやりとりの齟齬みたいなものをいくつか受け取ることができた。時刻表を見ると十分後に特急が出てその後は一時間後になっている。前にも同じことがあってそのとき父親は孫とできるだけ一緒にいたくて一時間後の特急で帰ると言った。でも今回はだいぶ疲れたか十分後の特急の指定券を買って来てくれと言う。切符を渡し子供には入場券を買って指定席まで送りに行かせた。
五月に父親は八十歳になる。認知症の不安から母親に当たり散らすことも多いそうだ。父親に会うのはこれが最後ではないだろう。でも現在の父親に会えるのはこれが最後かも知れなかった。次に会うとき父親はもっとたくさんのものを失っているだろう。そして会いに行っても僕たちが誰だかわからなくなっている日がいつかやって来るかも知れない。そうなる前に僕は父親に何がしてやれるのだろうか。