指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

子供が北九州弁を話す。

この前授業参観に行ったらプールの時間でプールサイドに立っていた生徒の背中を別の生徒が押してプールに落として先生にものすごく怒られていた。中三にもなってやることが幼い。子供はクラスのそういう雰囲気がとてもいやみたいだ。もともとひとりでどこへでも行ってしまうような子なので、群れて騒ぐ連中とは距離を置きたいらしい。それがはっきりわかったのは最近になって子供が北九州弁を話すようになったからだ。関西弁をよその土地の人がまねても本物でないとばれると聞くけど、子供の北九州弁はほぼ完璧らしくてそこで生まれ育った家人が聞いてもまるで違和感が無いと言う。ちなみに僕にはわからないけど博多弁と北九州弁というのは微妙に違うらしい。自分たちが話しているのはあくまで北九州弁なのだと家人は言う。
子供が聞き慣れないイントネーションで話していると気づいたときすぐに、そういう話し方はやめた方がいいと言おうと思ったけど踏みとどまってなぜそんな話し方をするんだろうと考えてみた。それで自分のアイデンティティーは北九州にあると暗にほのめかしているのではないかと思いついた。そんな必要がどこにあるかと言えば、東京弁を話す人々から自分を差異化したいためだという気がした。だとするならそれは子供なりの、自分の身を守る手段なのかも知れなかった。僕にしたところで群れる人たちよりひとりでいる人たちにいつだって共感して来たので、子供がそういう手段を選ぶならそれは肯定してやるべきだと思う。大学に入ったとき周囲の多くが物事をよく考えるタイプの人たちで、話の通りがよくて大変驚いたことがあるんだけど、いつかそういう友だちに子供もめぐり会えたらいいと思う。またもしめぐり会えなかったとしても、今の子供のスタンスでいいんじゃないかと考えている。Only is not lonely.と糸井重里さんも言っている。