指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

感受性について。

男と点と線 (新潮文庫)

男と点と線 (新潮文庫)

他にもよく知らないことはたくさんあるんだけど、中でも絵画についてはほとんど何も知らない。この前ダリ展に行きたいと言う家人について行って一通り丁寧に見た。楽しかったけど難しいなこれは、とも思った。初期の印象派っぽい作品を除けば美しいとはあまり思わなかった。感情の最大値は驚きで、最小値は不可解だった。どの作品を見ても驚きと不可解の間に感情はとどまったということだ。純粋に「作品対自分」という構図だけではあまり多くを受け取れないような気がした。もしかしたら一作品につきたかだか数十秒という鑑賞時間が短すぎるのかも知れない。一枚を何十年もかけて読み解くことが絵画鑑賞の本質なのかも知れない。好きなアルバムを何百回と繰り返して聴くように。ただそれ以上に、こういうものを本当に楽しむには自分には感受性が足りないんじゃないかという線の方が正しそうだった。知識で見るのではなく知識を排しながら見るのでなければ見たことにならないんじゃないかと思う割には一対一で豊かな体験に出会えるほどには感受性が備わっていないのだ。
そう考えるとこの短編集に登場する人々はその作品を構成するのにちょうどよい感受性を備えているということになるんじゃないかと思う。それは「文庫版あとがき」に書かれた作者の言葉と呼応しているかのようだ。

(前略)時間の洗礼を受けた場所と、ちょうど良い感受性を携えた私が交差する。肉体を受け継ぎ、三十年ほどかけて文化の訓練を受け、感受性が花開いた私が、場所を奇跡のように味わう。(後略)

この短編集のテーマでもある旅について作者自身が思いを語っているところ。こういうことをさらりと言えるのは本当にかっこいいと思う。
ニキや雪村の同類が登場していることだけはちゃんと気づくことができた。