指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

たくさんの書きかけ。

古い方のノートパソコンは主に塾で使っているんだけどこの中には書きかけの文章がたくさん入っている。このブログに載せようとして書いたものが多いけどなんでこんなの書いたのかよくわからないというのも結構ある。中には実際にブログにアップしたのもあると思うんだけどどれがそうでどれがそうでないか見分けがつかない。だから全部保存しておいてある。最近生徒さんたちが問題を解いている時間にそれらをまとめて読み返してみた。おそらくそれらを書いたのも生徒さんたちが問題を解いている間か、塾を始めた当初はすごく長かったらしい、塾に入りたい人からの連絡を待つ電話番の時間だったと思われる。それらのいくつかは最後まで書き上げられていないしいくつかは書き上げられてはいるものの割と読みにくい。もちろんまあまあよく書けていると―あくまで自分の視点からして―思えるものもある。いずれにせよそれらは当時の自分の心持ちをある程度、または場合によっては結構如実に封じ込めたものであることは確かだ。そういう意味では読んでいておもしろくないこともない。でも当時、と言ってもたがだか四、五年前なんだけど、自分が何を望み何に苦しみどんな心持ちで生きていたのか、その本当にリアルな細部はもう忘れているような気もする。アルチュール・ランボーの言う「私は他者だ」という言葉の意味のすべてではないけど一端はこういうところにあるんじゃないかと考えている。それは自分の書いたものだ。でもそれを書いた自分と今の自分は遠く隔たっている。この自分は自分であって自分ではない。それは見知らぬ他者なのだ。
いずれにせよそれらの書きかけは気が向いたときに自分で読む以外には誰にも読まれずいつかハードディスクが壊れたときに完全に消えてしまうだろう。でもそこまで考えるとそれは特に珍しいことでも特殊なことでもないように思えて来る。そんな風に日々誰にも読まれないままに失われて行く文章で世界は充ち満ちているような気がする。