指栞(ゆびしおり)

すまじきものは宮仕え。

オフ・コース「秋の気配」について。

伊藤様
 神保町昭和歌謡倶楽部、楽しみに拝見しています。今週オンエアされている番組の中でオフ・コースの「秋の気配」が取り上げられていました。それでこの曲に対する伊藤さんの解釈にちょっと違和感があったのでご連絡差し上げます。
 まずこの曲は男の人が女の人をふる話などではまったくありません。それだと後半のサビで歌われるとても大切なくだり、「僕の精一杯の優しさをあなたは受け止めるはずもない」の説明がつかなくなってしまいます。「僕」は彼女に精一杯優しくして来た、でも彼女はそれを受け入れなかった訳です。つまり「僕」は彼女に絶望的な片思いをしているというのが真相です。それはおそらく長く孤独でつらい片思いでした。そしてついに「僕」は彼女を諦めることに決めた。だから、「こんなことは今までなかった 僕があなたから離れて行く」とサビの重要な箇所で歌われる訳です。今まで彼女のことをずっと愛し続けてきた、でも彼女は決して受け入れてはくれなかった、もう駄目だ、諦めるしかない、彼女と知り合って以来初めて、彼女から離れようとしている、別れの言葉を探している、というのがこの曲のストーリーです。もちろん個人がどう解釈しようが自由ですし解釈は多様であって構わないと思いますが、伊藤さんの解釈だとこの曲の持つものすごく切ない感じをつかみ損ねてしまいます。そしてそれはこの曲の味わいを随分薄める結果を引き起こす気がします。
 もうひとつ言えばオフ・コースのつくる、と言うかこのころの小田和正さんのつくる歌詞にある「僕」に、ある程度の統一性があるとすれば、「僕」は女性をふるようなタイプではありません。女性に受け入れられなかったり、受け入れられるかどうか不安だったりすることはありますが、「眠れぬ夜」のように前半でかなり強気に出た場合でも、最終的には女性と結ばれる幸せをいつも強く求めています。「YES-NO」などを考えに入れても、上記の解釈の方が小田さんの描く「僕」像に適っているのではないでしょうか。
 「あの歌だけは他の誰にも歌わないでね」は、「僕」に対して興味を持ってるようで実はまるでそうじゃない彼女の、あくまで無自覚なものではありますが残酷さを表しているようにも思えますが、それはさすがに深読みのし過ぎかも知れません。それよりは同じ季節を歌ったもうひとつの名曲「夏の終わり」の以下のくだりに注目してもいいかも知れません。「諦めないで歌うことだけは 誰にでも朝は訪れるから」。作者は自分が歌をつくったり歌ったりすることに自覚的で、それが作品の端々に表れることがある、ということかも知れません。長くオフ・コースを聴いていてそれがいちばん座りのいい解釈のような気がします。
 個人的な話で恐縮ですが、この曲の「僕」のような絶望的な片思いと失恋をかつてしたことがあります。この曲を初めて聴いたときああ、あの体験のことを語っているんだとすぐに気づきました。この人はあの体験を知っている、あの本当にひどい思いをしたことがある。それは作者に対する圧倒的な共感でした。以来三十年以上、夏の終わりにさしかかると繰り返しこの曲を聴くようにしています。何千回聴いたかわかりませんが未だに聴き飽きません。本当に名曲だと思います。それだけ愛着のある曲だからこそ、このような、ややもすると失礼なご連絡を差し上げずにいられなかった事情をお汲みいただければ幸いです。番組、これからも楽しみにしております。