指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ひたすら読みづらい。

白鯨(上) (新潮文庫)

白鯨(上) (新潮文庫)

確かに新潮文庫には随分お世話になってきた。ドストエフスキーヘミングウェイもほとんど全作品を新潮文庫で読んだし、カフカとかカミュとかシェイクスピアとかトーマス・マンとか、海外文学の多くも新潮文庫で読んだ。夏目漱石森鴎外川端康成とか日本の小説の多くも新潮文庫で読んだ。ドストエフスキーは今は知らないけど僕が読んでた頃は米川正夫さんの訳で一ページに二十行近くものすごく小さな活字が詰め込まれていて訳文も今思えば古かった。でもこちらも若かったしそんなの全く気にかけず繰り返し読んだ。しばらくして大江健三郎さんのエッセイで海外文学の翻訳というのは新しければ新しいほどいいといった趣旨の文を読んで、個人的に米川訳にとても愛着を持っていたのでそういうものかなとちょっと疑問に思ったのを覚えている。
今回手に取った「白鯨」も新潮文庫版で初版が昭和二十七年、昭和五十二年に改版されたものの平成十六年に出た第六十五刷だ。ブックオフ・オンラインか、アマゾンのマーケット・プレイス(両方とも最近よく利用する。)で安く買ったもので、平成十六年からもいい加減時間が経ってるしもしかしたらさらなる改版か新訳が出てるかも知れないと思って今調べてみるとどうも現行の新潮文庫版「白鯨」もこれと同じものらしい。そしてそれはちょっとまずいんじゃないかという気がする。まあ活字が前述のドストエフスキー級に小さいのは仕方ないとして(それに困らされているのは視力が衰えたという個人的な理由からだから。)、訳文が古すぎるからだ。おそらく原文からして海外の小説独特のあの持って回った表現が多用されているように思えるところへ、さらに回りくどい訳文が当てられていて申し訳ないけど本当に読みづらい。ところどころ何度読み返しても何を言ってるか皆目見当がつかない。読んでる途中で次に読みたいエドガー・アラン・ポーの翻訳の中古を探したんだけど、この作品に懲りてどんなに安くても翻訳年が古いものは絶対に買わないことにした。ここに至って完全に宗旨替えすることとなった。僕はもう圧倒的に大江健三郎さんを支持する。翻訳は新しければ新しい方がいい。ただし若い頃に読んだ訳には愛着を持っていてもいい。また現行の新潮文庫版「白鯨」はよほど我慢強い方でない限りお勧めしません。と、また前置きが長くなった。
上巻を読んだだけだけど物語が動いているのが半分、鯨、並びに捕鯨船捕鯨という仕事についての百科事典的解説が半分といった印象になる。要するに説明部分がやけに長いように感じられる。もちろんこの説明がなければ物語が鮮明な像を結ばないんだろうけどそれにしてももう少し風通しよくならないかなあという気がする。と言うかもうひたすら我慢の読書。ただしボートでの鯨狩りのシーンはさすがの迫力なので、もう少し日本語がクリアになれば全編がもっと力強くなるのかも知れない、と、結局は同じことの繰り返し。まだ下巻が四百ページ以上残っている。