指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

個人的ジョン・チーヴァー、その後。

 村上春樹さんによると川本三郎さんの訳されたジョン・チーヴァーの短編集「橋の上の天使」と村上さんの「巨大なラジオ/泳ぐ人」では「Goodbye, My Brother」という一編だけがダブっているそうだ。邦題は前者では「さよなら、弟」、後者では「ぼくの弟」となっている。なぜこの一編だけがダブったのかあるいは逆になぜこの一編しかダブらなかったのかは村上さんの文章に譲るとして「橋の上の天使」が刊行された段階で「さよなら、弟」を読んでいたはずなのに先日「ぼくの弟」を読んだときには全く読んだ覚えがなかった。訳文が多少違うからと言っても同じテキストの翻訳を読んでいてしかも全く読んだ覚えがないというのは我ながらおかしい気がした。もしかしたら橋本さんのチーヴァーは買っただけで読んでなかったんだろうか。そう疑われた。
 割合は正確にはわからないけど買った本のうちいくらかは読んでいないものがある。若い頃は読んでない本というのはかなり正確に覚えていたんだけど年を取ってだんだんあいまいになって来ている。「橋の上の天使」は頭の中では読んだ本に分類されていたけどもしかしたら思い違いなのかも知れなかった。
 どちらにしても村上さんの訳を除けば持っている唯一のチーヴァーの訳本なので読みたいと思い、幸い本棚の比較的取り出しやすいところに背表紙が見えていたのでちょっと苦労して取り出して丁寧にほこりを払った。そのとき気づいたんだけど本についている細いリボン状のしおりの先がばらけないように結んであった。今は面倒なのでやらないけど一時期本のしおりの先を結ぶ習慣があった。それは前述の通り先がほどけてばらけることを防ぐためと、確かにその本を読んだことを証すためとのふたつの理由を持った行いだった。なのでこの本を読んだことはほぼ間違いないと思われた。四半世紀ちょっとの時間が読んだことを完全に忘れさせただけだった。