指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

さよなら銀河鉄道999

 1979年だからちょうど四十年前になる年の明日8月4日、映画「銀河鉄道999」が封切りになった。それを観に行ったときのことはもう随分以前に書いた。あまりの喪失感に家に帰っても何も手に着かなかった。自分が心の底から憧れる世界はいつも自分の手の届かないところにあった。自分にできるのはただその世界への思いを胸の中で絶やさないことだけだった。でもそれは本当に切ない行為だった。
 その二年後だったと思うけど続編の「さよなら銀河鉄道999」が封切りになったときも期待でいっぱいになりながら初日に観に行ったんじゃないかと思う。そしてものすごくがっかりした。原作や一作目の映画に一貫していた青春の夢というテーマがまったく省みられていずだから行き当たりばったりのずさんなストーリー展開になっていた。早い話が二匹目のドジョウを狙う大人の都合でつくられた作品でファンをなめ切っているとしか思えなかった。こういう形でファンの思いを踏みにじるということは絶対に許せないと思った。
 一作目はその後何度か映画館で観て音源がすべて収録された四枚組のレコードも買って繰り返し聴いた。ビデオというものがまだ普及していない時代の話だ。ムックなんかも手に入る限り買った。それらは今も実家に大切に保存してある。ひとり暮らしを始めて初めてビデオデッキを買ったときもたまにレンタルビデオ屋で借りて観たりした。DVDが出たときにはすぐに買って最近は観ることもないけどそれは持っていなければならない大切な一枚だと今でも思っている。でも二作目はまったく振り返ることがなかった。忘れていたと言うこともできるし無かったことにしていたと言うこともできそうだ。それが最近家人がアマゾンプライムに入って「ケムリクサ」とか「ハクメイとミコチ」とか少し前に僕が楽しみに観ていたテレビアニメが観られると教えてくれていろいろ検索するうち「さよなら銀河鉄道999」が本当に久々に目の前に現れた。それでちょっと迷ったけど観ることにした。どう思ったか。大人の目で見てもやはりとんでもなくひどい作品だとしか思えなかった。原作のテーマが忘れられているからどのキャラクターにも必然性というものが無い。特にメーテルの存在感の薄さは目を覆うばかりだ。僕はメーテルというキャラクターが本当に好きだったからこそこの映画のひどさをたやすく見抜けたのかも知れない。こんなのが999であってはメーテルであってはいけないと。という訳でこの作品は僕の中で再び長い封印のトンネルに戻って行くことになった。