指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

今日父親が施設に入った。

 何日か前に母親から珍しくスマホに着信があって出ると父親の入る施設が見つかったということだった。認知症の症状は進み続けており母親の手には到底負えないものになっていた。でも施設に入れば父親の日常から母親の姿が消えてしまい、母親のことさえ忘れてしまうんじゃないかと考えて入れるべきかどうか結構長い間迷っていた。でも探すともなく探していた施設の欠員をつい最近知ったときとうとう踏ん切りが付いたようだった。母親のためにそれはいいことだと思った。そして常に失い続けて行く父親のためにもそれは同じなんじゃないかと思った。こうなったらできるだけ早く何もかも忘れてしまった方が幸せなような気がした。
 施設からの迎えのクルマに父親は特に抵抗もせず逆にそこそこ上機嫌で乗って行ったと今日再び母親から電話があった。僕としてもそこがいちばんの心配事だったのでちょっと拍子抜けしたけど考えてみればそれもよいことだった。最後に父親に会ったときのことはここにも書いた。そのとき父親は溺愛していたうちの子のことも家人のことも僕のことも覚えていた。今は同居している僕の弟のこともわからないようだ。となると覚えている人間は母親だけなのかも知れない。そしてそれも遠からず忘れてしまう。
 今夜雨の音を聞きながら夕食を口にする父親の姿を想像するとすごく悲しい気持ちになる。いつになるかわからないけど会いに行きたいと思う。それとももう会わない方がいいんだろうか。