指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

思い合わせる楽しみ。

 

村上朝日堂 (新潮文庫)

村上朝日堂 (新潮文庫)

 

 

 

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

 

 

 図書館で借りてきた「村上朝日堂」と「村上朝日堂の逆襲」の文庫版を読み終えた。前者は平成19年に後者は同18年に改版されているが内容に変更があったのかどうかわからない。さすがの村上さんもエッセイまで改稿するとは思えないけどそれも推測でしかない。
 ところでこの二冊はかなり念入りに読み返されていたようで読んだ覚えのないページはほぼなかった。長篇なら好きなところだけ短篇集なら好きな作品だけという偏った読み返し方をしてたみたいだけどエッセイ集は割りに気を抜いて読めるので頭から最後まできちんと読み返していたようだ。それも一度や二度ではない気がする。暇なとき(独身のひとり暮らしは暇に満ちている。)に本当にその文章を読み返したくてベッドに寝転がっては時間も忘れて読んだいたんだと思う。なんて言うか考えようによってはいちばん純粋な本の楽しみ方のようにも思われる。本当は、幼い頃から若いときまでにだけ許される最もぜいたくな時間と言っていいのかも知れない。そう考えると高校を卒業してすぐにひとり暮らしを始めたのは間違っていなかった気もする。それがいちばんの間違いだったと思うときもあるんだけど。
 「村上朝日堂」は「・・・逆襲」に比べて安西水丸さんの挿絵の情報量が少なくてすごくいい気がする。さっと見てぱっとわかるので文章を読むリズムにほとんど影響がない。これに比べると「・・・逆襲」の挿絵は結構言葉も多くそれなりの物語を語っているので本文への理解とはまた違った回路で理解せねばならずやや邪魔になると言って言えなくもない。申し訳ないけど今回はほとんど読み飛ばしてしまった。そのかわり「・・・逆襲」にはあれとこれとを思い合わせる楽しみがあった。たとえば「交通ストについて」にある線路脇の家の話は「カンガルー日和」の中の「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」を思い起こさせるし、「間違いについて」にある「象が縮んで手のひらにのっても」という表現はどう考えても短篇「象の消滅」と対をなしている。「阪神間キッズ」に登場する田園調布出身の男性は「女のいない男たち」所収の「イエスタデイ」を思わせずにはいないし、「13日の仏滅」の占いの話は「中国行きのスロウ・ボート」にある「土の中の彼女の小さな犬」や「ねじまき鳥クロニクル」(と、その前身)とリンクしている。そういう思い合わせはファンとしてはとても興味深かった。もちろんひとつの作品にどれくらいの事実が含まれているかはわからないしまたそれをわかろうとするのは全く無意味だ。だからそれはまるっきり無駄な作業なんだけどそれでもなんとなく楽しい。