指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

Bump of Chickenの特別なささり方について。

 最近Bump of Chickenを聴き直し始めた家人が「天体観測」の世界観がすごく自分にささると言う。僕も曲はなんとなく知ってるけど聴き込んだことはないのであーそーなんだー程度の反応しかできない。こういうのはまあ夫婦間の暗黙のルールみたいなものであるステートメントをするのは勝手だけどそれに共感を求めることはお互いやらないことになっている。それをし始めると何かと余計な気をつかわなければならないし少なくとも僕側からするとそうなったらちょっとめんどくさい。たとえばこの前の「夏に恋する女たち」にしてもたぶん家人は聴いたことがないと思うのですごくいいと言ってもあまり(もしくは全然)伝わらないと思うから何も言わない。それより前ゴダイゴの「Monkey Magic」を聴き直したときその前奏のハイテンションぶりに感動してこの曲は家人も知ってると思ったのでそのことは伝えてみたけどそれはまあ自分が最近こんなことをやってるという報告以上のものではなくて家人の方もそう言えばそうかも知れないねーくらい返しておしまいになる。こちらもそれで気が済む。
 ところがその「天体観測」がなぜ自分にささるか不思議でずっと考え続けていたんだろう、それからなん日か経った昨日になって家人はやっと見つけ出したらしい理由について話し始めた。正確な言い方は忘れたけど自分の小説に出てくる男性の登場人物の世界観に近いからということだった。そのひたむきに生きる姿勢のようなものが「天体観測」と共通してると言う。話がそうなるとちょっと興味をひかれる。僕は自分の中に女性の登場人物を持っていないし持ってない登場人物の世界観なんて想像もつかない。それはある種のペルソナのようなもの、と尋ねるとそれに近いかも知れないと答える。するとそれは物語をつくる者だけに許された特別な感じ方のように思えて来る。そう言えば最近家人はなんとなく小説家らしくなって来たように思う。締め切りの乗り切り方とか編集さんから依頼された書き直しへの対応の仕方とかそういうテクニカルなことばかりでなくなんて言うか自信のようなものに裏打ちされた言葉のある種の力強さを感じさせることがある。大体年に四編も五編もきちんと一冊になる作品(本であれ電子書籍であれ。)を書き上げることはやはり人を相当程度鍛えるんじゃないだろうか。もちろんこれからも夫婦としてある程度のステートメントについては特に共感せずに流して行くことになると思うけど感心せざるを得ない発言に対してはきちんと感心しながら暮らして行くことになると思う。これまでもそうして来たのだが家人の小説家度が増すにつれてそういう機会も増えて行くだろう。