指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

ブラック・ジャックの恋人。

ピノコ哀しや―手塚治虫『ブラック・ジャック』論

ピノコ哀しや―手塚治虫『ブラック・ジャック』論

 

  僕が持ってる「ブラック・ジャック」は秋田書店から出ている文庫版で随分前にどこかにしまって以来読んでない。ただ確か全巻揃ってたはずだ。これは同じ秋田書店から出ていた最も古い言わばオリジナルのコミック版を再編集したものじゃなかったかと思う。オリジナルのコミックは作品の発表順に収録されているが文庫版はそうじゃなかったと思う。それがちょっと不満でいつかはオリジナルで揃えたいとなんとなく望んでるけど果たしてないし当分果たせそうもない。ただそうしてまで集めたいほどこの作品を気に入ってることは確かだ。子供の頃から読んでたし大人になってからも読み返してきた。手塚治虫さんの作品は全部読んだ訳ではないけど「ブラック・ジャック」がいちばん愛着がある。
 芹沢俊介さんは吉本隆明さんとの共著でしか馴染みがないけど家族論なんかを専門にしている評論家だという覚えがある。その方がブラック・ジャック論を書かれているとなればこれはおもしろそうだと思って図書館で借りた。
 今回芹沢さんが論考(ご本人はエッセイと呼ばれている)のもとにしてるのは講談社版の手塚治虫全集に収められているブラック・ジャック秋田書店版のどちらとも編集のしかたが異なっているようだ。そこには言ってみればオリジナルの「ブラック・ジャック」にはないメタレベルでの物語が仮構されていると筆者は指摘する。それがピノコブラック・ジャックとの愛の行方という物語だ。それは時系列の物語ではない。だから普通に読んでたら気づきにくい。ただし主人公を除けばピノコがこの作品の最も重要なキャラクターだと見なすときそれは浮かび上がって来る。しかもそうすることで毎回読み切りのような体裁を持つこの作品の、入口と出口まで見えてくることになる。それがどんな物語なのかは本作で確かめていただけたらと思う。
 そう言えばこんなキャラクターがいたなあ、と思ったのが名前は忘れてたけど如月めぐみ。間黒男の唯一の恋人だった女性だ。後に船医となる彼女との交流の分析もほんとに切ない。でもそれ以上に切ないのがピノコの胸中だ。絵を抜きにしてセリフだけが再録されたページではあまりに切なくて何度か涙が出た。確かに一途な想いを秘めてるキャラクターだけど見かけやコミカルな話し方なども相まってこれほどまでに切ない存在とは気づかなかった。自分の読みの甘さをまた自戒させられることになった。「ブラック・ジャック」は家人もファンなのでこの本を読むか尋ねたんだけどピノコの話はかわいそうなのであまりよく読んでないと言う。中上健次さんが谷崎潤一郎を評して言った言葉を借り家人のことを敬意を込めて「物語の豚」と呼んでるんだけど家人の物語への感応力にはたまにすごく感心させられる。