指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

レスリー・マッコーエンが亡くなった。

二人だけのデート[EPレコード 7inch]

二人だけのデート[EPレコード 7inch]

 

  ベイ・シティー・ローラーズのボーカルだった。彼らがものすごい人気だと知ったのは中一の頃だったから1975年くらいだったか。たぶん音楽的にはあまり高い評価を受けなかったと思うけど女の子たちの間では確かにすごい人気だった。それをはっきり覚えているのは当時好きだった同じクラスの女の子が結構熱狂的なファンだったからだ。テレビでミュージック・ビデオが流れていたのを見ていた記憶もあるのでもうその頃からミュージック・ビデオというのがつくられていたんだろう。リリースされる曲はラジオでも次々と一位になって行ったけどそれが日本でのみの評価だったのか世界的な評価だったかはよくわからない。少なくとも日本ではミュージシャンと言うよりアイドルとして認知されていたと言った方が正しいかも知れない。でもいくつかの曲は好きでよく聴いた。最大のヒットは「サタデイ・ナイト」だったか。個人的には今でもSaturdayとつづるときにこの曲の一部を頭に思い浮かべている。タイトルは覚えてないけどその他にも何曲か好きな曲があったし「二人だけのデート(原題はたぶんI Only Wanna be with Youだった気がするけど未確認です。)」というシングルはなんとレコードを持ってた。これは記憶が確かなら故岡江久美子さん(亡くなってもう一年が経つということだ。)と薬丸裕英さんがMCだった「はなまるマーケット」のオープニングソングだったんじゃないかと思う。まさかシブがき隊のメンバーの名前がこのブログに出てくるとは思わなかったと皆さんが驚いてるところで僕自身も同じように驚いている。今日触れたおふたりの故人のご冥福をお祈りします。
 でも今日の本題はそれではなくて前述した中一の頃好きだった同じクラスのベイ・シティー・ローラーズ・ファンのことだ。今でも名前も顔もはっきり覚えている。中一の終わりに僕は当時の大宮市(現さいたま市)から高崎市に転校することになって迎えた終業式の日親友だったK君が僕の思いを彼女に伝えてくれた。自分で告白するなんてとてもできなかった。するとその日の午後彼女の親友から自宅に電話がかかって来て(その頃はクラス全員の住所と電話番号の載った表がクラス中に配られていた。今から思えば信じられない。)なんだろうと思ったら途中で彼女が電話口に出て来た。よく覚えてないけど今日K君が言ったことは本当なのかと尋ねられたことと転校先でも元気でがんばって欲しいと言われたことだけ覚えている。すごくうれしかったけどこの電話の意味は謎でどういうことか結構迷った。今ならもちろんふられたということがはっきりわかる。彼女にはそんな自覚さえなかっただろうということも。でも今となっては割にいい思い出だ。
 別件。アルバム「Keisuke Kuwata」をCDで聴きたくて今日西友まで行ってCD-Rを探した。ディスク売り場に行くと全体の3分の2はブルーレイ・ディスクで残りの3分の2をDVDが占めていた。CD-Rなんてカセットテープよりほんの少し多めなくらいだ。カセットテープ並みの扱いにまで落ちぶれてるとは思わなかった。自分ではデジタルなつもりで刻々とアナログ化してるのかも知れない。でも誰がなんと言おうと音楽はCDで聴く。まあ誰にも何も言われずほっとかれてるんだけど。それとベイ・シティー・ローラーズ図書館で探してみようかな。今聴いたらがっかりするかな。