指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

村上春樹ライブラリー、五回目。

 五回目の村上春樹ライブラリー。先週話しかけられたスタッフさんにいつもありがとうございますと挨拶される。ここのスタッフさんは皆さんとても感じがいい。でも無料で本を読ませてもらってるんだからありがたいのはこちらの方。そう言えば区の図書館のスタッフさんもありがとうございますって毎回言う。図書館って一般的にそういうところなのかも知れない。無償で相手に与えつつお礼を言う。
 今日は「村上春樹全作品 1979~1989」の8巻から始める。短篇集の3といううことで「パン屋再襲撃」の収録作の他「トニー滝谷」のロングバージョンなどが収録されている。タイトルを目にしたことがないと思われたのは「ハイネケン・ビールの空き缶を踏む象についての短文」と「人喰い猫」。前者はわずか二ページしかなくてすぐに読み終わる。ちょっと「象の消滅」を思わせる作品。後者は読み始めてすぐに読んだことがあることに気づく。短篇集には未収録ということのようだったのでアメリカで編まれた二冊の短篇集のどちらかで読んだんじゃないかと当たりをつける。帰宅後確認すると「Collected Short Stories of Haruki Murakami Vol.2」の日本語版「めくらやなぎと眠る女」に収録されていた。確か去年読み直したばかりなので覚えていたんだと思う。ちなみに「トニー滝谷」は初めに「ロング・ヴァージョン」が書かれ(a)「文藝春秋」に掲載するためにそれを刈り込んだ「ショート・ヴァージョン」が書かれ(b)それを改めて長くした二回目の「ロング・ヴァージョン」(c)が書かれたとある。「全作品」に収録されてるのは(c)のバージョン。ちなみにこれも読んだことがある。いつどこで読んだんだろう?この巻の「自作を語る」からの引用は次のような感じ。

(前略)しかし僕は思うのだけれど、アイデンティティーについて考える僕自身は、必然的に僕という主体の中に含まれているから、僕自身のアイデンティティーを僕が外側から純粋に客観的に検証することは原則的に不可能であり、となると、僕に出来るそれにいちばん近い行為は、自分の無意識のサンプルを抽出して、それを検証することである。そしてそれこそが僕が小説を書くひとつの意味である。
 それと同じ道筋を辿って言うならば、僕自身の日本人としてのアイデンティティーは僕が日本人としてのアイデンティティーを意識しないときに初めて意識されるはずではないのか?それが僕のひとつのテーゼである。おそらくそれが、僕が『風の歌を聴け』以来ずっと一貫して求めてきたことのひとつなのだと思う。(後略)
村上春樹全作品 1979~1989 8 自作を語る」より。

 以上で「全作品」の前半の「自作を語る」と読んだことのない短篇はすべて読み終えたことになったと思う。ただし収録に当たって手を加えられたものまですべて読んだかどうかはわからない。
 それで「全作品」の後半に入る。「村上春樹全作品 1990~2000」の方の1巻には「自作を語る」という小冊子は入っていない。そのかわり巻末に作者による解題がついている。収録されてるのは短篇で「TVピープル」と「夜のくもざる」の収録作「使いみちのない風景」「ふわふわ」それに「青が消える」という短篇。「TVピープル」所収の「我らの時代のフォークロア」は全集(原文のママ)収録にあたり手が入っているそうだ。もう時間がなかったのでとりあえず未読の「青が消える」を読んでから「解題」を読む。「・・・フォークロア」のバージョン違いは次回に回す。「青が消える」は青とオレンジのシャツにアイロンをかけていたら突然青が消えてしまってオレンジと白のシャツになってしまったという出だしのカフカみたいな作品。ただ結末には作者もちょっと困ったような気がした。
 「ノルウェイの森」が自分の本筋の仕事ではないことを作者は自覚していた。それでできるだけ早く本筋に戻したくてあまり時をおかずに「ダンス・ダンス・ダンス」に取りかかった。そのときは調子がよかったんだけど書き終えてから何も書けない時期がやって来た。精神的にもきつくて旅先でありながら奥様は体調を崩されていた。自分の作品が書けないので翻訳をなさってたということだ。それが一年ほど続いた。それからあるアーティストのプロモーションビデオをきっかけに突然「TVピープル」を書いた。それで小説に復帰することができたという流れだそうだ。個人的に「TVピープル」という短篇集を手にしたとき村上さんちょっと変わったなという違和感があった(前にも触れたと思う。)。それはもしかしたら故のないことでもなかったかも知れない。

(前略)いずれにせよ、僕は小説=物語を書くことによって自分という魂のありかを確認し、発見し、かたちづくってきた人間である。(後略)
村上春樹全作品 1990~2000 1巻 解題」より。

 僕としては先週のスタッフさんとまた言葉を交わしたかったんだけど帰り際に彼女を見かけなかったのでそれは果たせなかった。でももうひとり女性のスタッフさんが僕のことを覚えていてくれたらしい。入館証はその方に渡して帰って来た。しつこいようだけど秋の早稲田大学は本当に気持ちのよいところだ。在学中には一度もそんなこと思わなかった。