指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

村上春樹ライブラリー九回目。

 「ねじまき鳥クロニクル」の第一部と第二部とが書き上げられ第一部の雑誌連載が終わった後単行本が二冊同時に上梓される。その後作者はこの作品についてまだ終わってないという印象を抱き1994年のいつ頃からか(作者にも正確な覚えがないということだ。)第三部に着手しなるべく早く刊行したいと1995年の4月に完成させる。プリンストン大学からタフツ大学に移りこの段階で作者のアメリカ滞在は四年以上になっている。

(前略)
 そろそろ帰郷するべき時期が来た、と僕はその時点で実感した。(中略)しかし僕は日本語で小説を書く日本人の作家として、それなりの責任のようなものを感じていたし(それは正直言ってアメリカに来る前にはほとんど意識しなかったことだ)、日本とのコンタクトを失うわけにはいかなかった。日本に戻ることに迷いはなかった。
(後略)
村上春樹全作品1990~2000 5」解題より。

 中略のところにはアメリカの暮らしは快適だったし他の大学からの招聘の話もありアメリカにい続けようと思えばい続けることはできたという趣旨のことが書かれている。ここで忘れてはいけないのは1995年の一月には阪神淡路大震災が三月には地下鉄サリン事件が起きてることだ。この間も作者にできることは「ねじまき・・・」の第三部を書き続けることだけだった。
 そして六巻目に移る。六巻目は「アンダーグラウンド」が収録されている。

(前略)
 1995年夏にアメリカ暮らしを切り上げて帰国し、新しい場所に落ち着き、新しい生活を始め、それから「自分が今、何をやるべきか」ということについて腰を据えて考えてみた。そして秋頃に講談社の文芸局の、懇意にしている何人かの人々と会って「地下鉄サリンガス事件についてのノンフィクションのようなものを書いてみたい」という希望を伝え、こころよく受け入れられた。(後略)
村上春樹全作品1990~2000 6」解題より。

 もちろん自分の言いたいことに沿ってここまで引用してるのでそう読めるのも無理ないと思うけど作者がアメリカ滞在を切り上げたのは阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が大きなきっかけだったように感じられる。誤解を恐れずに言えば作者は「アンダーグラウンド」を書くために帰国したとも取れるんじゃないだろうか。だとすると「アンダーグラウンド」が上梓されたときの唐突な感じ―村上さんがそういう仕事をなさったということに対するちょっとしたと言うよりかなり大きな違和感―をうまく解消できる気がする。もうひとつトルーマン・カポーティーの「冷血」の遠い響きを仮定できる気もするけど。
 六巻目の「解題」は涙なくしては読み通すことができない。そういう意味ではこの解題が今までで最も強い印象を残す。
 アンダーグラウンドのための最初のインタビューが行われたのが1995年12月ですべての作業が終わったのが1997年の1月ということだ。昨年村上さんの作品を割に大規模に読み返したときにでも「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」はそう言えば読み返さなかった。あれ読み返すの結構しんどいと無意識に思ったからだなきっと。読み返すべきなのかも知れない。
 日曜日にライブラリーを訪れるのは初めて。ライブラリーの夜景を見てみたくて今日は午後3時15分からの回に出かけた。でも六巻目の解題に胸を打たれてそんなの見る余裕もなくそそくさと帰って来てしまった。今年中にもう一回日曜日を予約しているからそのときは日が暮れた後のライブラリーをゆっくり眺めたい。