指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

「村上RADIO素敵なエレベーター・ミュージック」。

 オープニング曲は「ミスター・ロンリー」。城達也さんがパーソナリティーをつとめられた往年の「JET STREAM」と同じだ。そしてオープニングのセリフも城さんと同じものを村上さんがノリツッコミみたいに口にされてすごい懐かしかった。よく聴いたなあ「JET STREAM」。イージーリスニングみたいな曲ばかりで録音してまで聴こうとは思わなかったけど夜中に勉強するにはうってつけの番組だった。メロディーは基本的に美しかったしいい意味で聴き流せてあとに何も残らない。勉強もはかどろうというものだ。往年の、とか懐かしいとか書いちゃったけどウィキで調べたら今も番組は続いてるらしい。今は福山雅治さんがやられてるの?城達也さんが懐かしいのは劇場版「銀河鉄道999」のナレーションもこの方だったからだ。残念ながら1995年に亡くなられているようだ。
 今はラジオはほとんど聴かない。高橋源一郎さんの番組でさえ時間が合わないので聴いてない。この番組はラジコのTimeFreeにはならないし。もっぱら村上RADIOのみを録音して聴いている。そう考えるとラジオというのはひとりで聴くものなのかも知れない。小中高と自分の部屋に引きこもってひとりでラジオを聴いたし浪人の頃も同じだった。そう言えば学生になってからはあまりラジオ聴かなかったな。たぶん本を読むようになったからだろう。個人的に本を読むのは無音の方がいいので。就職してからは職場で常にラジオを流してたので聴くともなしに聴いていた。でも結婚してからうちでラジオを聴く習慣というのは持たなかった。なんと言うかやはりラジオはテレビに比べてパーソナルなメディアなんじゃないかという気がする。子供も一時期ラジオを熱心に聴いていたらしいけどそれはうちじゃなく塾にいるときだった。若くて孤独であることがラジオを聴く重要な要件なのかも知れない。だからなのか今らじれこで録音した村上RADIOを聴く体験は純粋にラジオを聴く体験とはちょっと異なってるようにも感じられる。若くもなく孤独でもないからということもひとつあるかも知れない。それに録音したラジオ番組はすでにラジオ番組ではないように感じられるからだと思う。ラジオ番組にはそれが放送されている時間帯はラジオの前にいなければならないというある種の拘束力がある。その拘束力を失うとラジオ番組という本質そのものも失われてしまう気がする。たとえ空気の振動という点ではまったく同じものだったとしても。
 でもまあこれからも村上RADIOはらじれこで録音して聴くだろう。たぶんもうそういう形でしかラジオを聴くことができないんだろうから、僕には。