指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

マクラーレン MP4/4。

 1988年にアイルトン・セナが乗ったマシンということだ。この年にセナは初の年間優勝を果たした。マクラーレンのチームドライバーのもう一人はアラン・プロストでたぶん僕はこの年プロストを応援してたんだと思う。レース展開はどうあれ結局最後には一位でチェッカーフラッグを受けるというクレバーさに惹かれた。F1ジャーナリストの今宮純さんが彼を「プロフェッサー・プロスト」と呼んだのもそういうところを指してたんだと思う。それに比べるとセナはなんとなく粗野な感じがして好きになれなかった。
 でも一年後にそれが逆転する。1989年のシーズン最終戦鈴鹿サーキットで行われた日本グランプリで首位を走るプロストを抜こうとしたセナにプロストが幅寄せするようにしてマシンをぶつける。マスコミはそういう言い方をしなかったけど少なくとも僕の目にはそう映ったし今でもそう信じている。二台はそこで止まった。確かこのレースでセナが優勝すればプロストを逆転して年間チャンピオンになれるという状況だったんじゃないかと思う。逆に言うとセナがリタイヤしてしまえば自分の成績とは無関係にプロストが年間チャンピオンを獲得する。だからプロストはセナを止められさえすればそれでよかった。ヘルメットを脱いでプロストはさっさとマシンを後にする。構造はよく知らないけどF1のマシンというのは一度エンジンが止まると再スタートさせるのがとても難しいんじゃないかと思う。だからこれでセナの今シーズンもおしまいかと思われた。でも彼は諦めなかった。マシンは再スタートしセナはレースを続けた。このとき僕はアイルトン・セナという人に対して初めて畏敬の念を抱いた。諦めないということがこんなにかっこいいものとは思わなかった。ほんとにすごかった。そしてそれからはセナの絶対的なファンになった。
 結局この日本グランプリはセナが再スタートした後正規でないコースを一部走ったということで失格になったんじゃないかと思う。だから今調べてもこの年の年間チャンピオンはアラン・プロストということになっている。その後1990年、91年とセナはマクラーレン・ホンダのマシンを駆って年間チャンピオンになる。この二年間はF1のレースを観戦するのが本当に楽しかったような覚えがある。しかし92年、93年とマシンのパフォーマンスでマクラーレンを凌駕したウィリアムズ・ルノーにチャンピオンを持って行かれる。93年のチャンピオンはマクラーレンからウィリアムズに移籍したアラン・プロストだ。セナはこの年マクラーレンに対する不信感から年間契約ではなく一戦ごとの契約に切り替えている。前年まででホンダがエンジン供給から撤退しフォードからエンジン供給を受けていたのもマクラーレンにとっては痛かった。でもセナはベストを尽くしていた。元々雨のレースが得意だったのでこの年の雨のブラジル・グランプリだったか鬼気迫る走りを見せたのを覚えている。空は暗くセナは速かった。
 運命の翌1994年セナは念願叶いマクラーレンから宿敵だったウィリアムズに移籍する。前年のシーズンを最後にプロストが引退したからだ。そして1994年5月1日サンマリノ・グランプリで事故死。その日のことは随分前にこのブログにも書いた。
 このモデルは晴れのレース用のつるつるしたスリックタイヤではなく格子状の刻み目のついたレインタイヤを履いている。雨のレースが得意だったセナへのオマージュだとすると感慨深すぎて涙を禁じ得ない。