指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

駅前にあったパスタハウスのおばさん。

 常連だった(自分で言うな?)駅前のパスタハウスのおばさんがバイト先のお客さんとして来ていたのに気づいたのは一ヶ月ほど前のことだったと思う。初めは声を聞いてあれそうかなと思ってよくよく見たら忘れようのない懐かしいお顔で思わず声をかけちゃったんだけど反応が薄くて覚えてもらってないのかと感じられた。そしたら昨日バイト仲間のまーさんが言うにはそのおばさんからあの人(僕のこと)がどうしても思い出せないと相談を受けたとのことだった。それで何か手がかりになるようなことを僕の口からさりげなく聞き出してくれないかと頼まれたんだそうだ。だったら自分で訊けばいいんじゃないですかとまーさんらしいことを言うまーさんに対して元客商売としてそれはしづらいとおばさんは答えたそうだ。それでまーさんはここでもまーさんらしく全然さりげなくなくむしろぶっちゃけで思い出してもらえるようなことが何かあるのかと僕に尋ねる。急なことでしどろもどろでいくつか記憶にあることを答えたんだけどこういうことが言いたかったんだと後で考えたことを書き留めておく。
 そのお店には二十五年くらい通った。会社の人たちとランチに行ったのがきっかけだったと思う。それでたぶん週に一回とか二回とか食べに行っていた。それから足に大けがをして通いやすいように会社のそばに引っ越して僕は自炊というのをほぼまったくしなかったのでランチにも夕食にもそのパスタハウスによく行くようになった。当時彼女だった会社の上司ともふたりでよく食べに行った。会社が出資したあるアミューズメント施設のチラシを見せたら店に置いてくれるというのでしばらく置いてもらったこともある。その後彼女とはお別れして一緒に食事する機会がなくなったので多いときには週に五、六回この店でひとりで夕食をとった。今の家人と遠距離恋愛してるときも彼女が東京にやって来ると一緒に行ったし結婚してからも行ったし子供ができてからは子供を連れても行った。子供が生まれたときにはお祝いもいただいたしお返しに吉祥寺にあるあるお店が通販してた紅茶缶をお渡ししたりもした。紅茶缶には子供の名前が手書きで入っててすごく素敵なデザインで我々(家人と僕)的には割に自慢のお返しだった。子供の成長をお見せしたくて不定期に食べに行ってたこともこのブログを読み返すとわかる。子供が中学生になったときにはこんなに大きくなってと言っていただいた。ご夫婦のお孫さんが生まれたとうかがったときにはちょっとおしゃれな(自分で言うな?)プレゼントをお贈りした。さすがにそれに対する感想まではうかがってないけどそこそこ印象に残るプレゼントじゃなかったかと自負している。パスタハウスなのに大徳利の熱燗が裏メニューにあることも知ってるしペスカトーレを注文すると小さなワタリガニをおまけにつけてくれることも知ってる。
 ざっとこれくらいのことはあったんですよ、おばさん。
 その他にも仕入れに自転車で行くおじさんに会う度挨拶したり会計のときに必ずひと言ふた言言葉を交わしたりとすごく親しくしてもらってる印象があった。特にひとり暮らしのときはそういうのは忘れがたい大切な思い出だ。僕のことを覚えてないみたいだと言うとそういうのも仕方ないことだと家人は言う。確かにそうなのかも知れない。そうなのかも知れないけど自分の覚えてることの大きさ大切さと比べると覚えてもらってないのはかなり悲しいことのように思われる。諦めのいい方だと自分では思ってるけど本当に大切なことでは割に粘着質なのかも知れない。と今は考えている。