指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

昨日のエントリ。

 なんかこうミスタッチで意味不明になった文とかアップしてもいいのかなと思い。あとはATOKさんにお任せします。
 うっちゃんにあなたの日本語はおもしろい語彙が豊富なんですねと言われたのですごく光栄に思った。そんなこと言われたことなかったのですごくうれしい。
 そう言われても小説家の家人にはオレ日本語の語彙豊富かなと尋ねられないよね。こういうのでよければ毎日アップできるん(以下七字「艶祖なんだぉえ?」は意味不明。)すいません。
 かぎかっこが頻出するのはenterキーのすぐそばにそれらのキーがあるからという気がする。基本ローマ字キーで打ってspaceキーで変換してenterキーで決定する流れで文章を書いている。また長文をまとめて打って変換するんじゃなくほぼ文節ごとにこまめに変換するタイプなのでenterキーの使用頻度が高まり必然的にかぎかっこをミスタッチする機会も増えるということだろう。一日に何回くらいミスタッチしたかぎかっこを消してるのかわからない。ミスタッチしたものも何もかも残したままで文章を書いたらわかるかも知れない。でもそれをあとから直すのは大変そうなのでやろうとは思わない。そういうやろうとは思わないけどやったらなにがしかの事実が判明することって意外とたくさんあるんじゃないかと思う。たとえば一日の自分の呼吸の回数を数えるとか。それからやろうと思っても知ることのできない事実もある。たとえば全身を構成する細胞の総数とか。個人的にはそういう事実の先に神という概念があるように思って来た。神が全知全能であればそれらの事実も知ってるはずだから。じゃあやろうと思えば知ることのできる事実たとえば一日の呼吸の回数をあえて数えて知ることができたら神に近づくのかと言うともちろんそんなことはないだろう。小さいという言葉では到底言い表せないほど規模が小さすぎる。ただしそんなの知ったところで無意味じゃないかという意見は正当じゃない気がする。事実は事実であってそれに意味があるかどうかとは無関係に存在しうる。何が言いたいのか自分でもよくわからなくなってきたけど前言を翻すようだけどでもどうして一日の呼吸数を数えないかと言うとそれはそんなことしたって無意味だと考えてることが主な理由のように思われる。事実は意味とは無関係に存在する。でもその事実を知ることには実際上意味がない。それが知ろうとすればわかるのに知ろうとしない事実の正体なのかなと思いつきのように今思っている。神まで持ち出した割には我ながらつまらない結論になった。でもいずれにしても不可知なものの存在は自分に神を感じさせる。
 かっこう、とメイが言った。
 「ダンス・ダンス・ダンス」また読み返そうかな。