ちょうど三十年前のことだ。F1サンマリノグランプリ。アイルトン・セナの駆るウィリアムズ・ルノーのマシンは突然コースアウトしたかと思うとその先にある壁に激突した。コースアウトから激突までに彼はマシンをかなり減速させていたと伝えられるが自分の命を守り切るには充分ではなかった。そうしてセナは亡くなってしまった。以来F1の中継は観ていない。いつからかF1を観るよりセナを観ることの方が僕にとってはるかに重要になっていたということだ。セナの走らないレースなんか観ても仕方ない。
セナの命日なんだなと何度も思いながら今日一日を過ごした。書いたことがなかったと思うけど塾を始めたのがセナの命日である五月一日だったのはまったくの成り行きだった。塾だから新学期である四月に始めたいと思っていたのが失業給付の問題(不正受給と見なされるとすごく面倒なことになる。)とか賃貸物件の契約の問題とかがクリアできず五月にずれ込んだだけの話だった。でもそうやってやっと漕ぎ着けた創業日がたまたま五月一日になったことでこの仕事はもしかしたらうまく行くんじゃないかと思った。セナに見守られてるような気がしたから。と書いて来るといささか神がかってて自分でも引く。大体こちらはセナを知ってるけどセナはこちらのことなんか知らない。知ってるはずがない。なのに見守るもへったくれもある訳がない。でも当時はそんなものにでもすがりつきたい一心だった。これがうまく行かなかったらあとは尻尾を巻いて実家に逃げ帰るしか選択肢がなかった。子供はまだ小学生だったし家人は小説なんてまだ一行も書いてなかった。手許にあるのは愛だけで未来にあるのは不安だけだった。でもそれから今日で丸十一年が経った。その間母親に二百万弱借金したけど(という段階でアウトな気もするけど)それを除けばまあまあ暮らして行けてる。今でも不安であることには変わりない。でも常に不安であることは不安への耐性を育む。なんとかなってるならそれ以上心配したところでそれは取り越し苦労というものだ。そうだよね?親愛なるセナ。
今日のスイムは千メートルを24分50秒と辛くも25分を切った。切るのはこれで三日連続かな?泳ぐペースは体まかせで今日も軽めにきつかった。でも自分を甘やかさない姿勢には僕も賛同したい。今日はバイト中しーちゃんとふたりきりの仕事というのがあってちょっとうれしかった。授業もこう言ってはなんだがとてもうまく行ってる。十二年目も願わくば平穏で幸せでありますように。